震える
「あっ、雨!」
カメラやビデオを濡らさないように、すばやくシートをかける。
1998年2月26日、正午。
大学生のわたしは先輩たちと、カリブ海のアルーバ島※1を訪れていた。ずっと憧れていた皆既日食※2を見るためだ。
パラつく雨空を見続けるわたしたち。ため息。太陽は雲間から顔を出すが、すぐにまた雲に隠れてしまう。ため息。上空は風が強いようだから、まだ可能性はある。晴れますように!
アルーバは青い海と白い砂浜が魅力的な常夏のリゾート地。けれど、わたしたちが空をあおぎ見ていたそこは過酷な場所だった。背丈の低いサボテンがびっしりと生え、サボテンの棘が容赦なくからだじゅうを刺す。分厚いジーンズも役に立たない。
小一時間後雨はやんだ。
雲が薄くなり、青空が見え始める。祈りが天に通じたか。いそいそと観測の準備を再開する。
まわりは世界中から集まった人たちでごったがえしていて、聞き覚えのない言葉が飛び交い、カメラやビデオがところ狭しと並んでいる。まるでちょっとしたお祭りだ。
13時半過ぎ。
日食メガネ※3で確認した太陽は、半分以上欠けていた。昼間なのに、しだいに空が暗くなる。鳥が鳴き、何か動物の声も聞こえる。風がふき出してて、背中がザワザワしてきた。暑さが少しやわらぐ。星が見える。最初に見つけたのは金星。
日食を知らない生き物はさぞかし驚き、恐れているだろう。原理がわかっているわたしだって、圧倒的な現象にたじろぎ……震える。そうだ!体の震えがとまらない。
皆既※4直前。
太陽は三日月のように細く細くなっていた。
さまざまな言語でカウントダウンが始まった。「…… 、5 、4 、3 、2 、1 、皆既です!」先輩たちの声も響く。
14時9分過ぎ。
ダイヤモンドリング※5が見えたあと、太陽がすっぽりと隠された。黒い太陽。すぐにコロナ※6がふわふわと浮き上がる。
ゆらぎながら白く輝くコロナ。その美しさに息をのむ。その場の皆が一斉に歓声を上げ、シャッター音が続く。
黒い太陽のある真上の空は暗くなり、地平線だけが明るい桃色に染まっている。あぁ、太陽の近くに水星と木星も光っている。
3分半の皆既時間※が終わると、再びダイヤモンドリング。一瞬のきらめきのあと、太陽は息をふき返したように光を増していく。
まばゆい光。
渦巻く、歓声!口笛!拍手!
戦争をしているときに、敵も味方もそろって皆既日食を見たなら、もう争いはやめようって思うだろうな。
急速に明るくなる空を仰ぎながら、安堵感と満足感がゆっくりとわたしを満たしていった。
※1アルーバ
ベネズエラ沖合のカリブ海に浮かぶオランダ領の島
※2皆既日食
月が太陽の前を横切るために、月によって太陽がすべて隠される現象
※3日食メガネ
目を傷めず、安全に太陽を見ることができる道具
※4皆既
皆既食(太陽が月にさえぎられて全く見えない)状態のこと
※5ダイヤモンドリング
皆既日食で、太陽が月に隠される直前と太陽が現れ始めた直後に、太陽光の一か所だけがもれて強く輝き、ダイヤモンドの指輪のように見える現象
※6コロナ
太陽の大気の一番外側の部分で、皆既日食のときに太陽の周りに白く輝いて見える
※7皆既時間
皆既継続時間のことで、
皆既食の状態にある時間がどのくらいあるかを表すもの
皆さまへ
太陽を見るときは、必ず日食メガネをお使いください。失明するほどのダメージを受けることもありますから。日食が見たくなった方。2030年6月には、北海道で金環日食があります。日本で皆既日食が見られるのは、2035年の9月です。それまで待てない方は海外へどうぞ。お調べください。
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