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自分の姉が劇場で眠ってしまった問題作「未来のミライ」

自分は見に行った映画がどんなにつまらなくても、さすがに作った人に失礼だという思いがあるので、途中で寝てしまったり止めてしまったりすることは絶対しないようにしています。
しかし、自分の姉は自分より少しだけ厳しい基準で映画を見ており、作品がつまらない場合は途中で寝てしまう事もあります。そんな姉が寝てしまった作品の一つがこの「未来のミライ」です。

「時をかける少女」や「サマーウォーズ」で知られる細田守監督が、2018年に満を持して発表した作品で、当時製作に携わっていた日本テレビが色々なところで宣伝を繰り広げていたのを覚えています。
しかし、知っている方もいらっしゃると思いますがこの作品、結果は前作の「バケモノの子」から40%減の興行収入とかなり苦戦しました。評判も全体的に低評価が多かったことでも有名です。

では何故、ヒットメイカーのはずの細田監督の自信作であったこの映画は高い評価を得られなかったのでしょうか。
今回はそんな「未来のミライ」について、実際に自分が見て思った事を色々と感想としてまとめていきます。

キャラクターがただ好きになれない

まず、本作に登場するキャラクターの説明とそれについての感想です。
この映画の主人公は4歳の男の子の「太田 訓」くんで、周りの人からはいつも「くんちゃん」と呼ばれています。細田監督には以前からショタコン疑惑が持ち上がっていましたが、その説の信憑性を高める様なキャラです。
くんちゃんに関しては「名前がキラキラしてる」「『好きくない』という口癖が好きくない」という指摘も多く見られますが、自分が思う一番の問題点は「声優さんの声が絶望的に合ってない」というポイントです。

演じたのはドラマ「義母と娘のブルース」で注目を浴びた女優・上白石萌歌さんなのですが、どう聞いても「女の子の声」にしか聞こえないのです。勿論女性の声優さんが男の子の役を演じるのはよくある事です。男の子に見せるスキルが上白石さんには足りていないですし、キャスティングミスとしか言えない出来になっています。正直、集中できなかったです。同じ女優で、演じた役の歳が違うとはいえ「ブレイブストーリー」の松たか子さんなんかは割と上手くやっていたんですが…
彼女を含め、本作の声優の多くは俳優・女優を本業とする人たちで、完成度としてはあまり高くない印象でした。個人的に評価できるのは曽祖父の若い頃演じた福山雅治さんぐらいでしょうか。元々が良い声というのもありますが、バイクを颯爽と乗りこなす男性というキャラに、彼の声はとても合っていたと思います。

ひいじいじ

次に、タイトルにもなっているくんちゃんの妹こと「ミライちゃん」。
兄のネーミングセンスはアレなくせに妹の名前はベタ中のベタですが、それは置いておいて、問題は彼女はタイトルにも名前が入っているのに作中での影がちょっと薄いキャラということです。
この映画の大筋は、「くんちゃんに妹が生まれ、様々な冒険をしながら彼に兄としての自覚が生まれるまでの物語」というものであり、その過程で現代の「赤子のミライ」、そして高校生になった「未来のミライ」が登場するのですが、「赤子のミライ」は文字通りの赤ちゃんですし、「未来のミライ」は思っていたよりはるかに出番が少ないです。しかも謎に毎回制服。
なので彼女に関しては印象が特にないんですよね。(笑)  ちょっと気が強くて毎回制服着てるな~、っていうくらいです。

そして本作最大の問題児は2人の両親だと思います。この時点で問題「児」ではないんですけどね。
「おとうさん」は設計士で、育児のために在宅で仕事をしていますが、慣れない子育てに四苦八苦しているという設定です。ただ設計士としての仕事ぶりに関しては疑問で、まだ自分の子供が小さいのに自宅を段差だらけの階段ハウスに仕立て上げています。生傷だらけの幼少期待ったなしですね。「ドリームハウス」だったら絶対に売りに出されてると思います。
「おかあさん」は逆に外で働いており、育児と仕事の両立を目指していますがなかなか上手くいかないという設定です。それ故に子育てに慣れていない「おとうさん」や赤ちゃん返りでいつも駄々をこねるくんちゃんに辛く当たってしまう場面が多々あります。気持ちは分かるんですが、ほのぼの系のムードを出している作品でこういうシーンを見せられると滅入ってしまうので止めてほしかったです。くんちゃんに関しては「ミライちゃんに嫉妬したくんちゃんが彼女をおもちゃで殴ろうとした」というほとんどDVに近しいシーンもあるので彼女だけのせいではありませんが。

育児

こういった点を含めて、この2人からくんちゃんへの愛情が明確に表現されているシーンが極端に少ない、というのが一番の問題だと思います。おかあさんが寝ているくんちゃんに自分の愛情を表現するという場面はあるんですけど、それじゃくんちゃんに気持ちは伝わるわけないですし。これじゃおかあさんがオニババ扱いされるのも分かる気がします。
家族が題材のハートフルな物語を自称しているはずのに、親子の明確な愛情とキャラクターへの愛着を見つけるのが難しい映画、そんな意味で早くもこの作品は問題の多い作品だと言えるでしょう。

無駄なシーンを全部抜いても退屈なストーリー

ストーリーの細かい部分にも、解せないところがいくつかあります。
まずは細田監督のケモナーっぷりが存分に発揮されたくんちゃんが犬に変身するシーン。正直この犬のくだり自体あまり必要性を感じなかったのですが、やっぱり自分のケツに尻尾をぶっ刺して犬の耳が生えるシーンは何とも言えない気味の悪さを覚えました。「おおかみこどもの雨と雪」はこういうのがダメで自分は好きじゃないんですが、それの再来でした。
このシーンほどじゃありませんが、くんちゃんが未来のミライちゃんにくすぐりを受けて性的快感に近い感覚を知ってしまうシーンも、ファミリー映画らしからぬ最高の気持ち悪さがあってかなり驚きました。「もっとやって」とか4歳時に言わせるセリフなのか?(笑)

続いておとうさんにバレないように雛人形をしまうシーン。そもそも平成最後期にもなって「雛人形をしまわないと婚期が遅れる」という迷信を持ち出してくるのもどうかと思いますが、それをまだ10代の未来のミライちゃんがやたらと気にしているのも不自然ですね。未来の世界って女子高生で結婚するのが当たり前になっているんでしょうか?
しかも、くんちゃん1人で何とかやれるだろっていう作業を、ミライちゃんと擬人化した犬のゆっこ3人でわざわざやっているのもちょっと意図が分からなかったです。ゆっこ自体のキャラはこの映画で珍しく好きになれたのですが、ここに関しては必要なかったと思います。

雛人形

次に子供時代のおかあさんとくんちゃんが出会うシーン。この2人が会っておかあさんのことについて深く知るという事自体は良いと思うのですが、
2人で家の中を荒らし回って楽しむシーンは気味の悪さを通り越して狂気を感じざるを得ませんでした。子供のイタズラ心とはいえさすがに度が過ぎています。「名探偵コナン」で物取りに見せかけるために部屋を荒らす犯人より悪質な所業でした。これを楽しいシーンとして入れているんだとしたら感性に問題があるし、子供時代のおかあさんと触れ合うシーンとしても絶対に必要のない展開だと胸を張って言えます。

他にも色々ツッコミどころが多く無駄な展開ばかりのストーリーですが、正直それを全部取っ払ったとしてもストーリーそのものがつまらないのは否めないところです。姉が寝たのも納得です。
基本的に本作は、くんちゃんの家にある大きな木が彼を不思議な世界へと連れていき、そこで彼が過去や未来の家族と触れ合うという展開を何度も繰り返すという構成になっていますが、このような小さなエピソードの連続は逆に物語の大きな軸が薄くなる危険性、そしてエピソードの数が多いほど一つ一つが薄っぺらくなってしまうという危険性もあり、いつ物語が盛り上がるのかと見ている人々を退屈させてしまうことも多いのです。これは、いつか記事を書こうと思っている木村拓哉さん主演の「マスカレード・ホテル」でも感じましたし、映画のありがちな失敗の一つだと思います。
そもそも根本的に大きな木がくんちゃんを不思議な世界に連れていくメカニズムに全く説明が無いのはどういう事なんでしょう?「時をかける少女」「バケモノの子」の時はSF要素に最低限の解説や真実味があった記憶があるんですが、本作はそれが皆無なので終始この冒険に疑問符がつきました。
しかもそれらのエピソードでくんちゃんも少しは何かを学んだはずなのに、それが終わるといつもの駄々っ子に戻ってるのもなんか嫌ですね。あのエピソードは結局無駄だったのかという気分になります。
とはいえ、それらの世界のデザインやアニメーションの技術は個人的にはけっこう好きです。大量の魚が泳ぐシーンとかは特にいいと思いました。この映画の数少ない評価ポイントと言えるでしょう。

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親のうるさい声が常に聞こえる哀しきホームビデオ

そして本作の大きなテーマである「兄としての自覚」と「家族愛の物語」についてですが、これについても半ば破綻していると言っていいと思います。
作中ではくんちゃんは頻りに、特におかあさんから「もうお兄ちゃんなんだからしっかりして、ミライちゃんに優しくしてあげなさい」というように言われていますが、個人的にこのメッセージ性が好きになれないです。
まずくんちゃんはお兄ちゃんになりたくてなった訳では決してなく、酷い言い方をすれば両親の願望と都合だけでお兄ちゃんにさせられた状態だと思うんですよ。それで無理にお兄ちゃんらしくするのも違うと思いますし、そこは少しずつ、自然とお兄ちゃんとしての自覚が身につくのを見守ってあげる方が適切なんじゃないかと思うんですよ。配偶者無しの自分としては。

それが如実に表れているのが終盤の東京駅のシーン。
あそこで登場する遺失物係の反則級の怖さもファミリー映画として問題だとは思いますが、その後くんちゃんが不気味な電車の前に飛ばされ、謎の力でその中に吸い込まれそうになりながらも、突然目の前に現れた赤ん坊のミライちゃんを助けるために、お兄ちゃんとしての行動を起こす…という場面があります。
ここは本作のテーマの根幹に関わる最も重要なところだと思うのですが、正直ホラー的な演出が強すぎて単純に怖かったですし、あの描かれ方だとくんちゃんは脅迫されて無理やりお兄ちゃんになる事を選ばされたように見えてならなかったです。あの状況で妹を見捨てる可能性なんて百に一つも無いでしょうし、くんちゃんが特別勇敢なお兄ちゃんという風には全く見えませんでした。こういうのを見ると「クレヨンしんちゃん」でのしんのすけのお兄ちゃんっぷりは高度なレベルで表現されていたんだなぁと思ってしまいます。生まれてまだ4年ちょっとで早すぎた精神的トラウマを植え付けられた彼には深い同情を感じます。
よく考えると、くんちゃんは結局他のエピソードでも親戚中から色々言われて「お兄ちゃんの自覚」へ向けて歩かされているわけですから、彼に対する細田監督の執着というか、プレッシャーを物凄く感じるのですが…

東京駅

そしてそれに伴って表現されるもう一つの「家族愛」というテーマですが、先述した通り両親からくんちゃんへの愛情を感じづらい本作では、当然このテーマも素直に受け取ることができませんでした。
そもそもこの家の中でくんちゃんが理不尽に扱われていない事の方が少ない気がしますし、そう考えると今までに登場した数々のファンタジー的世界が彼の現実逃避の結果に見えてきて、ますますこの映画の不気味さと主だったはずのテーマとの剥離が際立ってきます。
しかも、紆余曲折あって無理やりながらも自分でお兄ちゃんの自覚を持つことを選んだくんちゃんについて、最後両親がとても満足げな態度をとっているんですよ。特に自分たちの今までの子育てを反省している様子が明確にあるわけでもなく、自分たちを肯定しながら。別にこの2人が苦労してお兄ちゃんの自覚をくんちゃんに持たせたのならこの着地でも良いんですけど、そうじゃないのは明らかですよね。くんちゃんは自ら成長したのに彼を今後も育てていく両親にまるで成長の兆しが見られないのが、本作のあまりにも大きな問題だと思います。

ということで、この映画を雑に纏めるならば、「映像はくんちゃんを捉えているものの、外野から家族のうるさい声と要望が常に飛び交って彼に無理やり狙い通りの行動をさせている、悲しみと狂気のホームビデオ」という感じでしょうか…。ホームビデオはホームビデオでも、ただつまらない他人のホームビデオではなくその先を行く苦痛なホームビデオと言っても過言ではありませんよコレは。

適材適所

先述したように、自分は細田監督の技術的なアニメーション表現はけっこう好きです。「サマーウォーズ」のデジタル世界や花札のシーン、「バケモノの子」のクジラなど、そういった点の細田監督の才能は確かにあると思っています。
だからこそ、「おおかみこどもの雨と雪」以降指摘されがちな問題点の多い脚本も一人でこなすのではなく、例えば新海誠監督に対する川村元気プロデューサーのように、別の視点から作品を捉えられるブレーンを近くに置いたりすること、極端に言えば作画の方に重点を置いた創作活動を展開することの方が、今後の細田監督にとってもいいのではないかとさえ思っています。

今回の「未来のミライ」の世間的な低評価によって、細田監督の次回作への期待値は大きく下がったと言わざるを得ません。自分はなんだかんだ今後の彼がどういった道を進んで作品制作を続けていくのか気になる口なので、色々な期待をしながら次回作を待っています。

細田守の戦いはこれからだァ!!細田先生の次回作にご期待下さい。

次回作が来るまで、自分の姉が寝てしまった別の作品、「ペット」を見ながらお待ちいただければと思います。
今回も長文の記事にお付き合いいただき、ありがとうございます。

トモロー

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