坊主にしたい話

ある日、受験生だった次兄が散髪に行って、丸坊主になって帰ってきた。

それを見るなり母は激怒した。

私が記憶する限り、それまで次兄が丸坊主にしたことはなく、当時小学生だった私は、その時の次兄の行動や母の怒りの理由がまったくわからなかった。
次兄を怒鳴りつけていた母の声がただただ煩く、心の中で耳を塞いでいたことを覚えている。(当時怒る母の前で耳を塞ぐ勇気はなかった)

それから数年後、今度は既に成人していた長兄が、これまた丸坊主になって帰って来た。長兄もまた、丸坊主にしたことはなかった。

もちろん母はカンカン。

当時高校生になっていた私は、長兄に罵声のごとく文句を浴びせる母に対し、「坊主にすることは個人の自由だ」と、次兄の時には出せなかった言葉を発した。
すると母は「坊主は罰や謝罪のためにやることだからみっともない!」と。
私が「球児やお坊さん、ハゲた人が潔くとか、ファッションもあると思う…」と言うと「長兄はそのどれでもない!!」と怒鳴り、その怒りが収まるまで長兄に文句を浴びせた。(もっともらしく言っているようだが母はたぶん丸坊主というヘアスタイルが単純に嫌いなんだろう。)

後で長兄に丸坊主の理由を聞くと「楽で気持ちよさそうだから」というシンプルなものだった。
加えて「頭皮のアカスリがしてみたい」とも言っていた。

この時、私に稲妻が走る。
"頭皮のアカスリ"
ありえないフレーズ、その向こう側に"自由"が見えたのだ。

母のイメージで坊主は、懲罰を連想させる情けないものなのかもしれないけれど、私の中でそれは"自由の象徴"に思えた。

受験、思春期、親子関係…圧力をたくさん感じる多感な年頃に、突然丸坊主にするという選択をした次兄はその時、完全に自由だっただろうし、とっくに成人していた長兄が丸坊主になったことも、自由が故だと感じた。(そしてアカスリ!!)

どうにもこうにも丸坊主への憧れが止まらない。
でも私が丸坊主になったら、それこそ母は激怒どころじゃないなぁと、想像しただけでわずらわしかった。

あ〜スキンヘッドにしたい。
自分でバリカンを持ち、思うさま頭の上を滑らせたい…

そんな思いを抱えたまま、35を過ぎた今、私はサイドがツーブロックになっている。

バリカンを持ち1ミリにセットすると、鏡の向こう側の自分と見つめ合い、いろんな衝動を抑えながら、丁寧に丁寧に限られた空間だけを刈り取るのだ。

しかし上から髪の毛を下ろすとそれは隠れてしまう。

ここまで来るのに、20年かかった。

私の"自由の象徴"は隠れながら、でもしっかりと存在している。

余談になるが、長兄は頭皮をアカスリできなかったらしい。
身体のようにはうまくいかないそうだ。

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