見出し画像

お互いさま 〜セーフティネットがあるコミュニティ〜


夕方、つぶやいたけれど、人が倒れるとか、大きな事件や事故が起きてから対策を考えるっていうのをもうほんとにやめようよ、と思う。そうなる前に、「あの人ちょっと最近なんかあったのかな。ちょっといっしょにご飯食べにいこか」っていうことを少しずつ積み重ねる方が、立派な対策会議を開くよりも よほど大事。
今、それをできない世界にされていっていることに 気づいていないのは、本当に 従順すぎる。

今回書くのは、これまた自分が前に進むためのものだ。内容は重いと思うので、今 疲れている人がここを訪れた場合は、ぜひ 他のものをお読みください。読んでくれて、スキって反応してくださったり、コメントをくださったりすること、いつも 本当に嬉しく思っています。ありがとうございます。

ということで、どうやって 身近な人を守るか、っていう話。ちなみに、内容には脚色を加えている。

年の差の恋愛や結婚、あるいは、公にできない異性関係というのは、いろいろな制約があるけれど、その制約ゆえに傷つくこともあれば、その制約ゆえにぎりぎりのところで 双方、あるいは一方が救われることがあると思う。制約には、それがあるだけの理由がある。

大切な親友が、命を絶ちたいくらい辛いと打ち明けてきた。その理由を聞いたら、大切にしていた人に利用されていただけだとわかり、そのことに気づけなかった自分が憎いとのことだった。その人は、彼女がショックを受けた、その後もなお、彼女を嘲笑うような言動を続けているらしかった。

私は話を聞くしかできなかったのだけれど、そして、その相手がなんてひどいんだ、と怒ってあげるしかできなかったのだけれど、そして、あなたは悪くない、って言ってあげるしかできなかったんだけれど。どうも、彼女はそれでよかったらしかった。
後になって、彼女から嬉しかったって言われたのは

「あなたが言ってくれた『今までよくひとりで抱えてきたね。がんばったね。でも、もうあなたはひとりじゃない。これからは私が見ていてあげるから』って。それで、私はなんとかやっていけるって思った」

ということだった。そんなことしか言えなかっただけ。他にできることなかったんだもの。

「ただただ聞いてくれたことが嬉しかった。こちらのいうことを整理したり、批判したり、ましてや相手を庇うということをされたら、逆に私は何も言えなくなっただろうし、もう再起不能になっていただろうと思う」と。

 相手は、重責を担う立場にあって、力もある人だった。とても若い彼女は、相手を尊敬していた。相手も、彼女のことを公然と大切にした。が、ある日「あなたの、私に対するその振る舞いは、もういらない」と鼻で笑いながら告げられた。さらに、その彼女の前で、他の女性を大切に扱い始めた。あからさまに。そして、親友は冷たくあしらわれるようになった。これも、人が見ている前で。彼女のことを馬鹿にし、突き放し、否定するようなことを告げることも度々あったそうだ。
 しかも、その別の女性のことも、散々かわいがった挙句に、その女性が、あることで窮地に陥った時、助けるのではなく、平気で見捨てたのだそうだ。
 皮肉なことに、その女性を救おうとしたのは、親友だった。彼がまだ、その人を大切にしていると信じていて、「あの人が今、こういうことで困っている。あなたも知っているはずだ。手を差し伸べるべきではないか」と伝えた。そしたら、「あの人は、人に甘えるからああなったんだ。自分が助ける義務はない。」と言ったと。彼の扱いが、彼女の窮状の原因なのに、だ。そして、彼女は気づいたという。「この人は、人の心をおもちゃのように扱うだけの人なのだ」と。

ただただ、彼女がその話を、一人で抱え込まずに、誰かに話してくれて本当によかった、と思う。一時期は、悔しさやら不安やら恐怖やらで、眠れない日々も続いたということだった。眠れなくなると、不安定になり、冷静な判断ができなくなる。

人の心を平気で、笑いながら踏みにじることができる、それが私にはわからないし、分かりたくもない。もっと早くに彼女の状況を知ったとしても、私にできることはなかったかもしれない。ただ、たとえ彼女に嫌われたとしても「客観的に見ると、あなたは本当には大事にされていないよ」って言っただろうな。彼女が後になってから、声を振り絞るように打ち明けたのは、双方が既婚者だったからだ。できれば、もう少し早く、彼女がそこから脱することができていれば、と悔やまれてならない。

人間、とことん深い底を見てしまったら、戻ってくるのは難しいのだ、本当に。なんでもかんでも経験する必要なんて全くない。私が親友の親として、彼女の状況を知ったら、悔やんでも悔やみきれないだろう。娘には、娘を大事にしてくれる人にそばにいてほしいと、ただただそれを願うのであって、無責任に心をもてあそぶ人に、娘の心が傾いたことについては、なぜか親の責任だと思ってしまうだろうと思う。そして、そうなってしまったからには、親としてできることは あたたかいおうちに、いつでも帰ってきていいんだというメッセージを送り続けることだけだろうか。

できれば、我が子には 底を見ずに 生きてほしいと思う。そこに引き摺り込もうとする暗いところへも近づかないまま生きてほしいと思う。子どもの人生に願いを込めすぎるのは、あるいは親のエゴかもしれないが、わざわざ不幸を背負わせたいとは思えないのだ。

周囲の人間にできることは限られている。が、周囲に自分を見てくれている人がいる、と思えるだけで、世界は ほんの少し広がって、あたたかくなる。
間違った個人主義なんて、要らない。お節介すぎるのも 好きじゃないけど、誰かの足元に沼がひたひたと迫る状況を見ていながら見捨てるような世界は いやなのだ。

柔らかいものを壊したがる、奪いたがる、暗くて重いもの。そういうものから、大切な人を守るのは、日々のくだらないおしゃべりや、あたたかいご飯やおいしいものだ。
わたしは そういうものを用意し続ける人たちと エネルギーを分かち合っていたいと思う。大切な人の 心からの笑顔が 戻ってくることを祈って。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?