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【宝石箱の中身】着けられることのない指輪 

今日でお別れ、という日に 彼は指輪を贈った。
直接渡すと 絶対に受け取ってもらえないだろうと思って、別れをようやく受け入れた、ある日の午後 彼女の家に置いてきた。彼女の留守の間に。
そして、留学へと旅立った。
きっと彼女は 困っているだろうと思いながら。

そんな指輪を身につけてくれる人なんているだろうか。
別れた恋人から、別れた後に贈られた指輪を、誰が好んで、左手の薬指に入れるだろうか。

結構、奮発したから、受け取った側には、手放す選択肢を検討するにも、負担になるに違いない、そんな重いものを背負わされた指輪になってしまった。

店員の女性は、「きっと喜んでくれるでしょうね」と言いながら、丁寧に包装紙で箱を包んでくれた。その女性も、ルビーを身につけていた。とても似合っていて、彼女よりももっと柔らかい笑顔が印象的だった。
指輪の入った箱がカタカタという音を聞きながら、そっと運んだコーヒーを窓際の席で飲んで、明日の予定を確認した。

いつかまた出会いたい、そういう思いからの指輪だった。

本当に、本当に、自分にとって、この人が自分の全てだと思える女性だったのだ。
どうして、別れを切り出されたのか分からなかった。留学に行くことが理由ではないと言われ、混乱は増すばかりだった。きっと、あなたが帰ってくる頃には、地元に戻っていると思う、と。私は、生まれ育ったところでしたいことがあるから、と。


かつての強い思いこそ、やわらいだように思っているが、いまだにあの指輪を思い出すことがある。あの頃の自分は若かったな、と思う。
これ以上、彼女との間に希望も何も感じられないのに、指輪を買うためのお金を、他のことに使おうと思わなかった自分。
それで、何かが変わるかもしれないと思ったのだ。そう思って、何年も生きた。
彼女の、日々の暮らしの中に、自分がいることが叶うのじゃないか、と。

もし もう一度彼女と出会うことができたら、もう一度指輪を選ぼうと思っている。
そして、今度は直接手渡そう、と思う。

そう思いながら、ハンドルを握っていたら、いつのまにか自宅のガレージの手前だった。
大人びた表情の娘が marimekkoのバックパックと、ランチバックを持って立っていた。そうか、今日は塾に寄らずに帰ってきたのだ。昨日が誕生日だったけれど、友達とご飯を食べに行くと言って帰りが遅かった娘。母親が、「今晩はあなたの好きなハンバーグだから、早く帰ってくるのよ」と言ったのを、案外素直に聞き入れたらしい。
来年は大学生。あの頃の、彼女と同じ年齢に近づいていく娘。

彼女も、結婚して、同じぐらいの子どもがいるだろうか。

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