見出し画像

クレームなのか、メッセージなのか

起きることにはすべて意味があるという。私もそう思っている。
しかし、執拗なクレームで人や組織がつぶれることについては、よくわからない。どんな意味があるんだろう。

私がすごいなと思っている人は、人からどんなことを言われても、さらっと流していた。そして、ついには、あんまり他者に口を出させないところまで到達してしまった。なんか、違う次元にいっちゃったな、って思いながら、その人のことを見ている。

違う次元に行ってしまった人にとっては、かつてのクレームも「今思えば、あれは大事なメッセージだった」と感じるらしい。あの時のことがあったおかげで、私は、自分らしくいられない場所から去ることができた、とか、あのしつこい人のおかげで、自分らしさを取り戻すきっかけが得られた、とか。

つまり、何らかの出来事をどう受け止め、どう行動するかで、その出来事の意味は変わっていくということだろう。

販売業をしていたら、人と接する仕事をしていたら、いわゆるクレーマーを完全に回避するのは不可能ではないかと思っている。コロナ禍の影響で、コミュニケーションスキルが低下している現代ならなおさら、クレーマーを避ける、また逆に自分がクレーマーにならないようにする、というのは、誰もが直面する課題ではなかろうか。
こんな世の中なので、切実に「人と接するのが怖い」と思う人が増えてきているように思う。

どうしたらいいだろう。
誰かといっしょにいるって 心強いねって たくさんの人が思い出せるようになるために、今できることって何だろう。

もう潰し合いは うんざりなのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?