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今の社会に生きる人は、何と闘っているのだろうか

 効率を追求することと手間をかけること、どちらに重きをおくか。

学生のころから、無駄やしたくないことを生活の中から省くことこそ大切だと思っていた。

 一方で、時間をかけて作る食事とか、長期間勉強を続けることで得られるものの価値の重さも日々実感していた。

 二つの考え方は矛盾していないと思う。「どうしてもしたくないことに、時間をかけずに生きたい。大切なものにエネルギーを注ぎたい」という思いが自分の基本的な考え方なのだろうと思う。こんなふうに思っている人は多いだろう。

 ところが、今の世の中は、個人が自分の大切なものを決めることをよしとしていないのかな、あるいは決められちゃうと困るのかな、そんな仕組みになっているかもしれない。「できるだけたくさん勝つこと」を要求してきているように感じる。自分の好きな事だけで勝つ、のではなく、世の中でよしとされる、あらゆるものに勝ちを挑むように要求しているように感じる。「あれもして、これもして。そうそう、こっちもしなきゃだめだよ」って言われるがままにこなしているうちにダウンしてしまう。要領が悪い人はもちろん、こんなのできなくていいや、と開き直れない人は疲弊してしまう。あるいは開き直ることを許さないムードもある。あなただけやめるのか、みんなやってるのに。
「自分自身が大切だと感じるもの」だけに注力することは、簡単ではない。というか、自分自身にとって大切なものが何か、ということを考えさせないような社会のシステムが機能している気がする。

 せめて、「目の前のことに集中してしっかり取り組む」ことができる時間が その時々で十分に確保できたらいいけど、大体途中で切り上げられて「あとは自己責任で終わらせておくように」って、別のことに切り替えられちゃうのだ。で、「勝つ」ことができるのは、自分の好きなことやボーッとする時間、睡眠を削って無理した人、というようになっちゃう。その無理した人も、みんながみんなずっと無理はできないので、転職だったり、不幸にも体を壊したりする。

勝ちにこだわる人や、あるいは他者に次々とタスクを要求してくる仕組みを見ていると、「なぜ闘うのか」「なぜ闘いたいのか」「何と闘わせたいのか」そういったことは考えていないように感じる。自分にとって大切なものが何か、を考えることを辞めれば、何も考えずに闘えるのだと思う。その先に待っているものは何?

あなたは、誰のために そんなに闘っているのだろうか。思考停止したままで、何かを見失っている、と感じないか。いや、感じると動けなくなるから、感じないようにしているんだろうな。

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