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JUST ONE VICTORY (たったひとつの勝利)

TM NETWORK の「 JUST ONE VICTORY (たったひとつの勝利)」の歌詞の一部には、こうある。

人は時代と共に生きてゆく宿命を背負うから 
山を超え谷底を進んで目指すゴールは君そのもの 


TVの画面でいつか見たはず 男たちの熱いレース Wow Wow… 
君が感じる今夜のときめきは どこか似ているそれは君の心のセレブレーション 暗く長いどうくつを抜け出して見渡せば 永遠に生きる為の勇気感じるその瞬間

 …
奪われた僕らの メロディー とりもどすのさ いつか...ふたりならば怖くない 
たったひとつ君のVictory 歴史に刻むことが出来たら 明日がきっとかけがえのない一日へと変るだろう 


勝ち負け、という言葉は、普段使わないようにしてきた。でも、勝利という言葉は、自分のために使うときがあってもいいだろう、と この歌を聞くたびに思う。奪われたものをとりもどすこと、今という時代の中で生きているけれども、でも、そのなかでも 自分として生きること それが確信できたとき、それは「勝利」だと思う。そうすると、明日がかけがえのない一日へと変わるのだ。勝利を確信した今日という日も、自分の歴史の中に刻まれる日となるのだ。

勝利とは、だれかに祝福されたり、何か勲章をもらったりするような、華々しさをともなうもの、とは限らない。でも、自分の心が、自分の魂が、確実に勝利を確信する日、というのがある。ああ 確実にこれまでとは違うところにきたぞ、という日が、生きていると、一度、あるいは二度訪れるものだ。人によっては、もっともっとたくさん確信する場合もあるのかもしれない。

私にとっての勝利とは何か。それは、言葉と音楽を取り戻すことだろうと思った。言葉を奪われたまま生きることがどれほど苦しかったか。文字や言葉を奪われて、最低限の言葉で生きてこなければならなかったことがどれほどの大変なことだったか。

自分は、たぶん生まれたときから、ある程度日本語を知っていた、なんて、とんでもないことを時々感じていたくらい、言葉がいつもあふれていて、言葉そのものを生きているような幼少期だった。しゃべりだすのは早かったし、そろそろ幼稚園に入ろうかという頃には既に、新聞で当時の総理大臣のことや、世間を賑わせる出来事を知ったり、芸能雑誌の歌詞ブックで、ヒット曲の歌詞を楽しんで歌うこともできた。その後も、絶対に生まれて初めて目にする漢字なのに、懐かしく読むことができた。

それが、ある程度成長して、重度な精神的苦痛を伴う出来事に心が麻痺したころから、どんどん文字や言葉が、頭や心から零れ落ちていった。残りかすのような、最低限の知識で、就職して、なんと自分の状況に自覚のなかったことだろう、ある程度言葉をしっかり扱わなければならない仕事に就いた。覚えたこともすぐに手からこぼれおちる。すくいあげては、また失って、という状況の中で働くことは、本当に地獄のようだった。でも、そういう状況にあることを知られるわけにはいかなかった。なんとか、日々をやり過ごすような、毎日を送った。大好きだった音楽も、なぜかあまり聴かなくなっていっていた。いつの間にか、だった。心身ともに、どんどんボロボロになっていった。

その後、結婚や出産、その他にもいろいろなことを経て、新たにショックを受けたり、あるいは家族との時間を過ごして、目の前の景色がきちんと心に溶け込んでくるのを感じ始めたころ、ここ1年くらいのことだろうか、以前よりも言葉が心の中に残っているのを感じた。少しずつ、言葉が自分のものとして生き返っていくのを感じた。

そして、今年の夏。家族とおいしく食事をしたとき自分が発した言葉に、人と交わした言葉に、魂が戻りつつあるのを感じた。自分の言葉が、生きている。魂をもったものとして、世界で呼吸を始めている、と思った。この、noteで記した言葉を、あとになって読み返した時も、言葉が命を持ったものになっているように感じてきた。優れた表現になっている、というような意味ではなく、自分の魂の声となっているような、そんな感じだった。

やっと、私から奪おうとしていた人が、何も奪えず(むしろ喪ったかもしれない)、むしろ、私の世界は、私が思っていたよりずっと優しくて豊かだった、と思えたとき、それは、私だけにとっての勝利ではないか、と思った。なんでもない日々の中の、たった一日が、かけがえのないものとなる。明日も、これまでと同じように、時間は過ぎる。働く。誰かと言葉を交わす。

でも、その日常が、支配的な、暴力的なものに屈することはない、あたたかい日常となるような、そういう祈りのこもったものとなるのだ。二度と、屈したりしない。鮮やかにかわしたり、かっこ悪く逃げたりしながらでも、やわらかい、あたたかい空気を作り続ける人を信じて 言葉や旋律が奪われない、そんな空間は、作られ続けていくと思いながら 生きていける。

誰かから奪うことで、築かれる世界は 長くは続かない。

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