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【続々】学校の「当たり前」

 最近の記事で、学校が学級閉鎖をする際の基準や、校庭にスプリンクラーを設置するか否かなど、同じ公立学校でもその取組は全国的に一律ではないということを書いた。
 言いかえれば、「当たり前」だと思っていたことが、他所では違うのである。

 ・・・これらの記事に関して知人のA氏から、
「自治体ごとの違いもあるが、同じ自治体内でも学校種によって大きな違いがある。ある学校種の『当たり前』が、他にも当てはまるわけではない」
 という主旨のコメントをいただいた。

 この知人は、小、中、高の校長や、小中一貫校と中高一貫校の副校長を経験したことがある人物だけに説得力がある。
 つけ加えると、氏によれば、
「各学校種によって『当たり前』は違うが、特に小学校の『当たり前』は一番スペシャルな感じがした」
 ということである。


 この「小学校の特殊性」は、校長の姿勢にも当てはまるように思う。具体的に言えば、中・高の校長が職員に「任せる」のに対して、小学校の校長は「何でも自分で」になりがちだと感じる(自戒も含めて)。

 この点に関して先のA氏は、次のように述べている。
「中・高の校長が教科指導についてあまり口を出さないのは、自分の教科以外はよくわからないから」
「中・高の校務分掌の場合、教務主任、生徒指導主事、そして3人の学年主任は担任をもたないので、まさにミドル・リーダーである。よって、『任せる』ことが可能になる」
「小学校の学年主任や児童指導専任の選び方は、中学校とはずいぶん異なる」

 ・・・「(教科指導についてあまり口を出さないのは)自分の教科以外はよくわからないから」というのは謙遜もあるだろう。しかし、教科の担当者が明確に分かれている点は、小学校と中・高との決定的な違いだろう。
 また、学校種による教員定数上の違いもあり、多くの場合に学年主任が学級担任も兼ねている小学校と、学年主任が文字通りのチーム・リーダーを務める中・高では、学年のチーム力に差が出てくることは否めない。 


 ちなみにA氏は、
「中・高は様々な学部出身者の集まりである。しかし、小学校の教員は、ほぼ教育学部系で統一されている。それもスペシャルになりやすい要因かと思う」
 と述べている。

 ・・・たしかに、小学校の場合は教育学部系以外で教員免許を取得することが難しいため、出身学部に偏りが出がちである。
 そのことが小学校の「文化」にどのような影響を与えているのか、今後調べてみたいと思う。

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