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私自身の「サーベイ・フィードバック」

 今から5年ほど前、横浜市教育委員会に勤務していた際に、立教大学・中原淳教授の研究室と共同研究を行った。

 研究のテーマは、「教員の長時間労働の是正と持続可能な学校づくり」である。具体的には、「サーベイ・フィードバック」という手法を用いて、教員のやりがいを維持しつつ、その長時間労働の是正を図ろうとするものだった。

【サーベイ・フィードバックとは】
 インタビュー調査や各種のサーベイなどのツールによって組織の健全性を調査し、その分析結果を回答者にフィードバックすることをきっかけとして対話などを行い、協働的な問題の解決に当たるという組織開発の手法。
(中原淳 2015「HRDとOD」日本労働研究雑誌、中村和彦 2013「組織開発の特徴とその必要性」関西生産性本部)

 横浜市立学校の教員を対象にした質問紙調査(抽出調査)の概要については、下記のリンクから閲覧やダウンロードをすることができる。

 また、この質問紙調査を分析した結果と、それを生かした「サーベイ・フィードバック」の具体的な事例などについては、『データから考える教師の働き方入門』(毎日新聞出版)として出版もされている。

 このほか、実際に「サーベイ・フィードバック」によって「教員の長時間労働の是正と持続可能な学校づくり」を進めるための啓発用ビデオは、You Tubeで視聴をすることが可能だ。

 ・・・「教職員の長時間労働の是正と持続可能な学校づくり」は、一朝一夕に成果が出るようなものではない。「三歩進んで、二歩下がる」ことをくり返すかのような息の長い取組が必要なのだ。

 けれども、誰かからの押し付けで「働き方」を見直すのではなく、当事者である教員自身の「気づき」を大切にして行動の変容を促す「サーベイ・フィードバック」の手法により、横浜市立の学校では少しずつ、しかし確実に変化が起きているのではないかと思う。

 ・・・実は私にも、「サーベイ・フィードバック」によって自らの働き方を見直した経験がある。もっとも、正確にはそれを「サーベイ・フィードバック」と呼ぶことはできないのだが。


 私が自らの働き方を見直したきっかけは、10年ほど前にある小説と出会ったことにある。その小説とは、原田マハさんの『本日は、お日柄もよく』である。

 ・・・主人公である二ノ宮こと葉は、想いを寄せていた幼なじみ・厚志の結婚式に最悪の気分で出席をしていた。ところが、その結婚式で涙が溢れるほど感動的な祝辞に出会う。その祝辞の主が、伝説のスピーチライターと呼ばれる久遠久美だった。こと葉はすぐに久美への弟子入りを決意し、その教えを受けながらスピーチライターとして成長していく、というのがストーリーである。

 この小説に、リスニングボランティアとして活動する北原という女性が登場する。リスニングボランティアとは、主にお年寄りの話を「ただひたすらに聞く」というものだ。相手の話に対して自分の意見を言ったり、必要以上に応答したりはしない。ただ、黙って聞いてあげるのだ。

 こと葉に対して北原は、「黙って聞く、という行為は、その人のことを決して否定せずに受け止める、ということなの。お年寄りになると話がくどくなったり、同じことを繰り返してしまったりするでしょう。話したくても、うとまれてしまうのね。何も求めているわけじゃない、ただ話したいだけなのにね」と言う。

 だから北原は、相手が話している間は何も言わない。何もかも聞いたうえで、最後にたったひと言だけ、悲しい話なら「大変でしたね」、明るい話なら「すてきですね」と言うだけだ。

 そんな北原がリスニングボランティアを始めたのには、ある理由があった。40代の若さで臨床心理学を専門とする大学教授になった北原は、多忙な毎日を送っていた。そのため、たった一人で自分を育ててくれた母親が寝たきりになっても、施設に預けたきりで、ほとんど会いにいかず、話も聞いてやらなかった。

 母親もそんな娘を思いやって、自分から「会いたい」と連絡をすることはなかったし、北原がたまに施設へ顔を出すと、「忙しいだろうから早く帰りなさい」と追い立てるくらいだった。

 北原はそれに甘え、「自分がいなくても、母は大丈夫に決まっている」と都合よく思いこんでいたのだ。

 だが、ある日突然、母親は亡くなってしまう。

 しばらくして、母親の遺品を整理していた北原は、その中に古ぼけた手帳があることに気づく。それは北原が通っていた名門女子高の学生手帳だった。表紙をめくると現れる18歳の「娘」の写真は、涙でごわごわになっていた。そして、手帳の一ページには母親の遺言が書かれていたのだ。

生まれ変わってもまたあなたのお母さんになりたい
今度はいっぱいお話をしましょうね


 ・・・この小説を読んだ当時、私にも80代後半の母親がいた。父はとっくに亡くなっていて、母は実家で一人暮らしをしていた。

 実家は私が住む家と同じ区内にあった。だが、「会おうと思えばいつでも会える」という気持ちが、私の足を実家から遠ざけていた。

 けれども、小説の中に描かれた老いた母親の言葉を読んで、私は自分自身の働き方を見直すことにした。

 ・・・母は3年前に亡くなった。自慢するような親孝行はできなかったと思う。それでも最期の数年間は、こまめに実家に顔を出し、母の長い昔話を黙って聞くことぐらいはできていたと思う。

 くり返しになってしまうが、正確に言うとこれは「サーベイ・フィードバック」ではない。「サーベイ(調査)」に基づいていたわけではないのだから。

 だが、誰かに言われたからではなく、自分自身が「気づく」ことによって行動を変えたという点で、私にとってはこれが「サーベイ・フィードバック」だったと思っている。

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