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文房具としてのパソコン

 この4月から大学で授業をするようになって感じたことの一つは、大学生や大学院生たちが使う文房具の変化だ。ノートやペンを使うことは稀で、その代わりを務めているのがパソコンである。
 ノートとペンの代わりに使えるだけでなく、授業で使う資料をクラウドで共有したり、その場でインターネットを使って調べたりするなど、その利便性については言わずもがなである。また、大学側でもペーパーレス化を進めており、パソコンの使用を推奨しているという背景もあるだろう。
 そしてコロナ禍以降、オンライン授業を実施する機会が大幅に増えたことも、パソコンの利用頻度を高めることにつながっている。

 先日、約30名の大学院生を相手にして1時間ほどの話をする機会があった。
 ほぼ全員の机上に個人持ちのパソコンが置かれており、多くの院生は私のほうを見ながら話を聞き、ときどき端末に(おそらく)キーワードや気づいたことなどを打ち込んでいた。
 しかし、まるで議事録でも作成しているかのようにパソコンと向き合い、ずっとキーボードを叩いている院生も何人かいたように思う。


 これまで、教育委員会の研修などで大人を相手に話をするときには、なるべく参加者の反応を意識するようにしていた。頷きながら聞いている人がいれば、こちらも調子が上がってエピソードを追加したりするし、腑に落ちないという表情を浮かべている人が目についた場合には補足説明をするなど、その反応によって話し方や内容に修正を加えることができた。
 けれども、視線をずっとパソコンに向けて、こちらと目が合わない人の場合にはその反応を探ることが難しい。極端に言ってしまえば、こういう人の場合には別に私が目の前にいる必要はなく、動画や録音の視聴でもいいのではないか、という気もするのである。

 しかし、これには大学の授業のあり方も関係しているのだろう。近年は受講者に対して、毎時間の授業後、クラウド上のフォームに「授業の振り返り」を入力させて、それを出欠の確認や評価の資料として利用することが多い。
 ひと昔前は、紙のノートにメモをしたキーワードやフレーズ、感想や疑問などをもとにして文章を考え、それをフォームに入力していたのだろうが、それらの作業をパソコンで一元化したほうが効率的に決まっている。
 最近の受講生の中には、授業の終了と同時に「振り返り」を完成させて、それをフォームにコピペして提出完了、という猛者もいるのだろう。
 ただし、こうなると「『振り返り』を作成するために授業を受けている」という気がしなくもないのだが。


 もっとも、終始パソコンに向かっているからといって、それが当人に合った学習スタイルであるならば、とやかく言う必要はないのかもしれない。別に講師と会話をしているわけではないのだし、キーボードを叩きながら思考が整理されることだってあるのかもしれない。

 そもそも、授業の際に提出する「出席カード」の代筆を友人に頼んで、自分は遊びに行っていた昭和の時代の大学生に比べたら、はるかにマシだと言えるのだ。
(「その『昭和の時代の大学生』とは、立田さんのことですか?」と聞かれたら、「はい」と答えるしかない。)

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