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「カリスマ校長」が去ったあと(中)

(前回のつづき)
 東京都千代田区立麹町中学校の学校経営を巡っては、SNSなどで次のような言説を目にすることが多い。

・2014年度に就任した工藤勇一校長(当時)が、公立中学校にとって「当たり前」だと考えられていた「宿題」「定期テスト」「頭髪・服装指導」「学級担任制」の廃止や制服(標準服)・体操着の一部自由化など、生徒の自主性や主体性を重んじる方向への学校改革を行なった。

・2020年度に後任として着任した長田校長は、3年間の在任期間中、工藤氏のやり方を概ね踏襲しながら学校経営を行った。ところが、2023度に着任した堀越校長は、麹町中学校を「課題のある学校」だとして、元校長が改革してきたことを次々と元に戻し始めている。

・現校長の学校経営は、生徒の自主性や主体性よりも「規律」を重んじているようだ。また、生徒や保護者に対する十分な説明がないまま、工藤氏がやってきたことの見直しを図っている。

 SNS上の傾向としては、元校長である工藤氏の学校経営を支持し、現校長のやり方に批判的な論調が多いように見受けられる。私自身も、どちらかといえば現校長への批判派の立場だった。

 だが、昨年度に麹町中学校のPTAが行った堀越校長へのインタビュー記事を読むと、そうした印象がいささか変わってくるのだ(余談だが、このインタビュー記事のクオリティは極めて高い。一般的なWebマガジンの内容にもまったく引けを取らないと思う)。

 このインタビューの全体をとおして、
「この校長先生は、どちらかといえば生徒の主体性よりも規律のほうを重んじる方なのだろうな」
 という印象は受ける。しかし、それが「行き過ぎ」というほどではない。

 また、
「教諭時代も含めて、生徒指導上の課題がある学校を立て直してきた『力のある先生』なのだろうな」
 とも思う。

 私が特に共感をしたのは、インタビューのこの部分である。

その後、管理職になってからは、ぐいぐい前に行ける子供たちだけではなく、そうではない子供も自己実現できるにはどうしたら良いかを考えるようになりました。ひっそり座っていても、内心では自己実現したいという想いのある子供だっている。中学生になると小学生よりも我慢してしまうことが多くなりますね。高校になるともっとです。前に行ける子供もそうではない子供もいて、どちらも輝けるのが共生社会だと思います。

 私は教育委員会に勤務をしていた時期に、多くの小中学校の実態を見聞きしてきた。そのなかには、「子どもの主体性」を大切にしながら十分な成果を上げている学校がいくつもあり、その後に校長を務めた際にはお手本としたものだ。

 その一方で、「子どもの主体性」という名のもとに「指導の放棄」をしているような事例も見られた。そういう学校では「ぐいぐい前に行ける」子が学級を牛耳り、「ひっそり座って」いる子は萎縮をしていた。学級内に担任公認の「格差社会」が出来上がっていたのである。当然、その集団のなかでは「いじめ」もあった。

 無論、元校長の工藤氏が目指していたのは、こういう「エセ主体性」ではない。だが、「子どもの主体性」を求めていくうえでの難しさに目を向けているという点からも、やはり現校長は「力のある先生」なのだろうと思う。


 工藤氏による学校改革について現校長が見直しを図っている理由は、インタビューのこの部分に表れているといえるだろう。

気になるのは、麹中がスタンダードだと思ってしまうと、高校で不適応を起こす心配もあり得ること。麹中のような高校も一部にはありますが、ほとんどの高校は公立でも私立でも、ルールがきちんとあります。小学校でも一般的だったようなルールが麹中ではなくなっていて、子供がその楽な状態に慣れてしまい、高校で適応するのが難しい場合がある、というのを卒業生の話でも聞いています。例えば体育の授業前に着替えなければいけないとか、定期考査前の部活停止期間とか、他の中学校にはある習慣が現在の麹中にはないので、高校に入ってからストレスに感じ、「良い高校だと思って入学したのに、理想と違う」となってしまう。それを乗り越えられない子供もいるのが心配です。

(中略)

保護者の方からも、高校って麹中とは違うんだよ、とか、ちゃんと勉強しないと大学に繋がらないんだよ、ということを子供にお話しされて良いと思います。基本的なところは保護者の時代から変わらないと思いますので。中学3年の成績が主に問われる高校受験と違って、大学に指定校推薦で行こうと思ったら、高校1年から勉強を積み上げなければいけない。そういう風に高校は中学校とシステムが全然違うので、高校生になるんだという覚悟を持って進学して欲しいなと思います。

 これを読んで、
「高校に合わせることが中学校の判断基準なのか」
「そもそも、変わるべきなのは麹町中ではなく、高校や大学入試制度、そして社会のほうではないのか」
 という感想をもつ方もいることだろう。

 しかし、入試を乗り越え、高校生活へスムーズに移行させることは、中学校の関係者にとっての使命でもあろう。「ウチはウチ、ヨソはヨソ」では生徒たちが困るのだ。

 様々な「改革」を元に戻していることに関して、生徒や保護者への説明や、お互いの対話が不十分である点は学校側に責任があるだろう。だが、現校長がやろうとしているのは公立の中学校としては普通のことで、これが麹町中学校でなければ話題にもならなかっただろう。


 疑問として残るのは、
「なぜ『主体性』と『規律』が二項対立のようになってしまったのか」
 ということだ。

 「主体性」と「規律」は、けっしてトレードオフの関係にあるわけではない。たとえば、スポーツのチームづくりでも、近年はこの2つの両立を目指すのが主流だろう。「選手主体でマナーがよく、実力もあるチーム」というのは、どの種目にも存在するはずだ。

 大きな学校改革を成し遂げた工藤校長はもちろんのこと、その後を受けた長田校長と現任の堀越校長のお二人も、東京都の教育界では名を知られた実践家だったようだ。「主体性」と「規律」の両立を目指すことは間違いなくできたはずなのである。

 それを難しくさせたのは、「3年間」という日数にあったのではないかと私は考えている。「3年間」というのは、中学校にとって特別な意味をもつものだからだ。
(つづく)

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