見出し画像

その後ろ姿は本当に輝いていたのか?

 ある公立小学校の校長による学校の公式Twitterへの投稿が物議を醸している。その内容は次のようなものだ。

自分が学校に着く六時半には、誰かが運動会の練習の準備を始めています。体育主任だけに負担をかけないようにしたいと、ボトムアップで声が上がった取組です。みんなのためにできることを、互いにできる組織。長続きしてほしい意識、習慣です。黙々とトンボがけをする新採教員の姿、輝いていました。

 この投稿には、女性教員が「トンボ」を使って校庭整備をする後ろ姿を撮った写真が添えられている。おそらく、彼女が文中で紹介されている新採用の教員なのだろう。
 一見、「美談」のように思えるかもしれない。だが、この投稿の内容には大きな問題がある。それを「時間外勤務の常態化」、「同調圧力と肩身の狭さ」の2つに分けて述べてみたい。

時間外勤務の常態化

 関連する投稿やWebページの内容から次のことがわかる。

・この小学校では、TwitterやInstagramを活用した情報発信を行っている。これは同校だけではなく、この自治体にある他の小中学校でも行われている取組である。

・同校のTwitterやInstagramでは、児童の活動の様子や教職員の取組などについて、ほぼ毎日、校長が写真付きで紹介している。
※なお、本日(2021年11月16日)の段階で当該の投稿は削除されている。

・同校では、今年9月25日(土)に運動会を実施した。当該の投稿は、その前日である9月24日(金)の様子に関するものである。

・当該の投稿では、運動会前日の朝6時30分よりも前に新採用の教員が出勤し、準備をしている様子が紹介されている。また、それ以前から「体育主任だけに負担をかけないように」、誰かが早朝に出勤をして準備をしていたことがわかる。

 問題の一つ目は、この学校で時間外勤務が常態化していることである。
 たしかに、運動会を実施するためには、校庭の整備、ライン引き、テントの設営や放送設備の設置など、通常の授業とは異なる大がかりな準備が必要となる。
 そこで、運動会前日の午後に全職員で準備の大部分を行い、当日の早朝に残りの準備と確認を行うという学校が多い。そのため、当日の朝は通常よりも早い時間帯に職員が出勤し、その分の振替を別の日に取得するというのが一般的である。
 しかし、この学校では運動会当日よりもかなり前から、一部の職員が早朝に出勤をして準備をしていたことがわかる。無論、前日までの練習のためにラインを引く必要もある。だが、連日、それも始業の2時間以上も前から準備をしているという状況は、明らかに異常である。

 一方、昨年度から今年度にかけて、コロナ禍によって修学旅行や文化祭などの学校行事を中止したり縮小したりした学校は多い。
 運動会も例外ではなく、昨年度の場合、実施をした場合でも、感染拡大防止のため、大人数が長時間にわたって集まることがないように、種目の精選や内容の見直しを図ったり、保護者や来賓の参観について中止したり人数制限をしたりするなどの工夫を行った学校が多かった。
 その結果、たしかに例年のようなような華やかさは少なくなったのかもしれない。しかし、その一方で、

・練習や準備に要する時間が減り、その分、落ち着いて教科等の学習に取り組むことができた。
・半日開催にしたことで、児童が集中して取り組むことができた。
・保護者による見学のための「場所取り」や、ビデオ撮影などを巡るトラブルが減少した。
・運動会をきっかけに、「学校にとって本当に大事なものは何か」を見直すことができた。

 …などの好意的な声も少なくなかった。
 今年の秋は昨年のこの時期に比べて、全国的に感染者数は減少の傾向にある。しかし、運動会の開催方法については昨年度のかたちを継承し、縮小して実施している学校が少なくない。
 だが、この学校ではそうした見直しは図られていないようである。

 2016年に実施された文部科学省「教員勤務実態調査」によれば、小学校教諭の33.4%、中学校教諭の57.7%が月80時間以上の時間外労働をしており、いわゆる「過労死ライン」を超えている。教職員の長時間労働を是正することは、学校教育にとって最優先の課題だと言っても過言ではないだろう。
 長時間労働は、教職員の心身の健康に悪影響を与えるだけでなく、授業の準備や子どもと向き合う時間を奪うなど、教育活動の質の低下に直結する。また、全国的な教員採用試験の倍率低下に見られるように、教員を目指す若者が減少するなど、次世代にも影響を及ぼしている。
 だからこそ、すべての学校の管理職は、最優先課題として長時間労働の是正に取り組む必要があるのだ。

 しかし、この学校ではどうだろう。早朝に2時間以上も早く教員が出勤する状態をそのままにするだけでなく、それを「長続きしてほしい」としてSNS上で公表している。
 早朝出勤をした教員は、その分の振替を取得できたのだろうか? 運動会だけをとっても、これだけの時間外勤務が常態化している学校で、それは難しいだろう。

 長時間労働を放置し、助長してしまっているという点で、この校長は大きな誤りを犯している。

同調圧力と肩身の狭さ

 2つめの問題は、「同調圧力」である。
 この校長は、職員が交代で早朝に準備をすることについて「ボトムアップで声が上がった取組です」と述べている。だが、本当にそうだろうか。
 どこの職員室にも、「同じ学年の教員が遅くまで残っていると、先に帰りづらい」「若手の教員は、早く出勤しなければならない」「ベテランの教員よりも早く帰るのは気がひける」といった雰囲気が、大なり小なりあるものである。
 この投稿で紹介されているのは、初任の教員だ。職員室の中で、もっとも弱い立場にあると言ってもよい。もしも、先輩の教員が朝早くから校庭の整備をしていると知れば、自分も早起きせざるを得ないだろう。
 ましてや、校長がSNSの中で「みんなのためにできることを、互いにできる組織。長続きしてほしい意識、習慣です」と、はっきり述べている学校なのだから…。

 一方、この初任の教員以上に「弱い立場」にいる者がいるかもしれない、ということにも目を向ける必要がある。
 たとえば、幼い我が子を保育園に送ってから出勤をする教員にとって、朝6時台に出勤をすることは極めて困難である。
 また、子育てだけでなく、介護や自分自身の健康上の問題など、様々な事情で朝早く出勤することが難しい教員は、どこの学校にも必ずいるはずだ。

 慌ただしく朝食を済ませ、保育園へ子どもを送り届けた後、始業時刻ぎりぎりに職員室へ駆け込んでくる…。そうした朝を過ごしている教員が、きれいに整備された校庭に美しく白いラインが引かれた校庭をどのような気持ちで眺めているのか…。
 校長は、たとえ「よかれ」と思った取組であっても、「それによって肩身の狭い思いをしている者はいないのか」という想像力をはたらかせるべきだろう。

 …おそらく、この校長は、教員時代には子どものために時間を惜しまずに仕事をする「いい先生」だったのだろう。そして、今もそうした姿勢や取組がよいと信じて疑わないのに違いない。
 だが、あの日の新任教員の後ろ姿は本当に輝いていたのだろうか?
 就職して約半年。仕事に追われて、新任の教員は疲れていたはずだ。もう少し布団の中にいたい。早く出勤しなければならないのなら、せめて授業の準備をしたい…。

 後ろ姿で判断をするのではなく、彼女の「心の声」にこそ耳を傾けるべきだったのではないか? あなたが教員時代、子どもたちの声に耳を傾けてきたように。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?