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私にできること

なぜ私は陸上クラブのコーチ、ランニング教室の講師をやろうと思ったのかを、一度言葉にしてみようと思います!!

最近、SNSで毎日のように、「〇〇すれば速くなる!」「速くなる走り方!」が流れてくる。とても大切な事だと思う反面、私が伝えたいのは、速く走る走り方なのだろうかと疑問に思った。私が目の前の子どもたちや、ランナーさんに一番お伝えしたい事は、なんだろうか。それは、この仕事をしようと決めた理由でもある。

引退してすぐ、私は陸上に関わる仕事をする気持ちはなかった。なぜかと言うと、現役を引退する前後、走る事に対してもう、楽しめないと言う気持ちだったらだ。そして、人の記憶は曖昧だと言うけど、「小さい頃から走る事を楽しいと思っていなかった」とさえ当時は、思っていた。走った時の楽しい記憶と、そうでない記憶の両方があったとして、楽しくなかった記憶ばかりを思い出していけば、「私はもともと走るのが楽しいと思ってなかったんだ」ということにしてしまう。人間の記憶のたどり方は、怖いなと後に改めて思った。それが、この仕事を始める前の私が思っていたことだった。

引退して数年後、実家に戻って、自分の育った場所を通ったり、恩師と食事したり、母校の中学校の部活を見学に行ったりしているうちに、陸上を始めた中学の時のことを調べてみたくなった。始めた頃って、どんな風に陸上をやっていて、どんな気持ちだったのかたどりたいと思った。
高校の時の資料は、現役選手の時もちょこちょこ振り返ることがあったが、中学時代にレースの感想や、先生からのプリントを貼っていたクラブノートがあったことを思い出し、探した。クラブノートが何冊か出てきた。

読み返して、「中学の時って、走るの楽しんでたんだ私」。自分の中に衝撃が走ったのを思い出す。始めた頃に書いていた記録には、どんどん出来るようになっていく喜びとか、自分なりに次はこうしてみたいという目標、願望みたいなことも記されていた。できなくて悔しいことも、とても綺麗とは言えない字で書かれていた笑。(中学の時の字は、汚くてびっくりした苦笑、先生よく読んでくれてたな…感謝です)
これは、誰が読んでも走ることを嫌がってる様子なんて感じられない…と思ったら、昔の自分に謝りたくなった。走ることをもともと楽しんでいた中学生だったのに、なぜか、もともと走るのが嫌いだったなんて思ってしまった。人の記憶は都合よく作り変えられるという事を、身をもって体験した瞬間だった。昔の自分に申し訳ない気持ちにもなった。

始めた頃の楽しんでいたことを思い出したことがきっかけで、もしたくさんのランナーさんの中で、楽しさを感じられなかったり、悩んでいる人がいたら、それを脱出するきっかけを作れたら良いなと思うようになった。
だから、目の前の子どもたちや、ランナーさん達の望んでいることに近づくお手伝いをする中でも、楽しめていない人がいると、一際気になってしまう。またその状況を変えるきっかけになれたら嬉しい。

そして、それが "私だからこそ" できることなのではないかと思う。


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