見出し画像

走り方とは?

走り方に正解はあるんだろうか?

私にとっての正解と、その他のランナーにとっての正解は違うかも知れない。私にとって良いと思うことが、その他のランナーにとって違う場合もある。
走ることにおいて、この方向性が良いと言うことを自分の経験から伝えることはできるが、最終的にそれをやってみるかどうか、自分に合うか、合わないのかは、受けとる人自身に委ねられる。

最近、様々なトレーニングは、それを通して常に自分の感覚を磨くということも含まれるのではないかと思う。

自分の感覚、感性、何が自分に合うかを感じる力は、意識しなくても備わっている人もいれば、鈍感な人もいるのではないだろうか。しかし、これは体を動かすこと全てにおいて、鋭い方が良いと感じる。

例えば、自分に合う靴を履いてみようと思った時、「何が自分に合うか」がわからないと、何が良いのか分からない。自分というものをわかっていなければ、スポーツする時には、困ることが出てくるだろう。
自分の体ひとつで行うランニングなので、他人からこれが合うから履いてください、この走り方が正解だ!と言われても、本当に合うのか自分で実践して決めないと面白くないと私は思ってしまうタイプである。
外の情報ばかりを鵜呑みするのではなく、その情報が自分自身(体・性格)に合うもなのか、合わないのかを常に試し、それを採用するか、しないかを決めている人は、感覚が磨かれて行くのではないだろうか。

時には、直感でいいと思った場合と、違うこともあるかも知れないが、磨き続けることが大事だと思う。

また、どんなトレーニングをしていても、自分の感覚に集中することが、感覚を磨くことにつながるのではないだろうか。腹筋や腕立て伏せも、身体のどこを使えば楽にできるか?という思考で実施すると、自分の身体との対話になる。楽とは、悪い姿勢で力を逃して楽をするのではなく、使う場所と、力を抜く場所をさぐりながら実践する中で、掴んでいくのではないだろうか。

ただ、一旦自分を捨てて、何か(走り方・トレーニング・靴など)を徹底的に誰かの真似をするというのも、自分を知る方法の一つかもしれない。しかし、お手本と自分の持っている身体(筋肉、骨の強さ、足や腕の長さ)が違うので、真似する過程で怪我をしてしまうかも知れない。しかし、それも無駄と考えるのではなく、自分に合う走り方やトレーニングを見つける過程と思えば、良いのかもしれない。

自分の感覚、感性、何が自分に合うか感じ取る力は、一つのスポーツだけではなく、色んなことに共通するのではないかと思う。そんな感覚を磨いていけるような機会を、運動を通して関わる子どもたちに提供していけたら良いなと思う。

何が自分に合うのか?を感じられること、考えられることは、自分を知ることでもあり、スポーツ以外、日常全体にもきっと生きてくると思う。

#ランニング

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。共感していただいだり、楽しんでいただけましたら、とても嬉しいです。今後ともよろしくお願いいたしますm(__)m