その" 楽しい"とは
新しい感覚を得られた時、新しい感覚を感じられた時、得たいと思っている時って、「楽しいな」とふと、走っている時に思った。
どのような時かと言う、新しいこと(スポーツに限らず身体を使うこと)をする時、または同じことでも今までにない感覚を得られた時、そして忘れてた感覚を思い出した時にそう思う。スポーツに限らず絵を描く、写真を撮るなど、身体を使うことには言える気がする。
いつもの日常の中で気づかなかった景色に気づいた時。例えば、部屋の窓からの空が綺麗に見えることに気づいた時。今までにないくらい、きれいな景色が撮れた時。下手なりに描きたい絵がイメージに近づけて描けた時も、スポーツの時に感じるわくわくと似ている気がする。
新しい感覚というのか、気づかなかったことに気づいた時、出来ないことができた時というのかもしれない。初めて陸上を始めた中学生の時と似ている感覚だった。できない事が、1個ずつできていく事が楽しかった。自分の中に無いものを見たとき、知った時、感じた時、気づいた時、楽しい、わくわくする。 なぜ ”楽しい、わくわく” するのか、”楽しい、わくわく” するとは何かを考えてみたいと思う。
この楽しい、わくわくは、競技するスポーツをする意味にもつながっていくのではないかと思う。競技スポーツをなぜやるのかというと、勝ちたいから、世界大会に出たいから、ライバルに勝ちたいから、というのはもちろんあると思う。プロ選手であれば、生きていくためとも言えるだろう。しかし、それだけの為にスポーツ選手は競技スポーツをしているのかというと、そうではない気がする。
以前に書いた、遊びとスポーツ でも触れたように、長く続けているトップアスリートほど人に勝ちたいというモチベーションの他に、その競技に興味、好奇心を持ち続けている。そして今よりもっと上手くなることに楽しみ、面白さを感じている様に私は感じている。
このトップアスリートが感じている様な競うというモチベーション以外のものと、冒頭に書いたスポーツしたり、絵をかいたり、写真を撮ったりする時に、「楽しい、わくわく」を感じるのは、似ているように思った。
究極のことを言うと、職業としてやるのではなく趣味でスポーツ、絵を描く、写真などをやる分には、やらなくても生きていけるけど、なぜそれをやるのか?
それは、競技力、スキル、レベルの差はあるけど、理由は実は同じ、もしくは似ていて、「楽しい、わくわく」を感じたいからかも知れないと思った。
楽しい、面白い、わくわく、の正体は何かが気になる。楽しい、ワクワクを感じたくて、スポーツをするし、走るし、絵をかくし、良い景色を見たいと思う。もし、全てできなくなったら、食べて、寝る、だけの生活になったらどうなんだろう。食べて寝る、のみが満たされたとしても生きていると感じられるのか。生活に必須の時間以外の時に、何をするかが人生の楽しみでもあるんではないかなと思った。
なぜ人はスポーツをするのか、走るのか、絵を描くのか、きれいな景色を見るのか、音楽を聴くのかというと、楽しい・わくわくするを感じたい=生きている実感を感じたいからなのかな…まだしっくりくる表現が浮かばないけど、大学院のメンバーでディスカッションしていて、ふとまとめたくなり書いてみました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。共感していただいだり、楽しんでいただけましたら、とても嬉しいです。今後ともよろしくお願いいたしますm(__)m