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どんどんどんどん絵を描こう

「家では絵を描かせない。」
…と言う母親に出会ったことがきっかけです。

「だって、家が汚れるでしょ。」
「紙から必ずはみ出すのよ~。」
「ウチは、一応描かせている。だけど絵の具は禁止」

面倒臭さが先に立っているようです。

泥んこになって洗濯が大変だとぼやく人と
絵を描かせて家が汚れると騒ぐ人と。

絵を描く私は、「やめろ」と言われる子が、本当に気の毒だと感じていました。

けれども、それは分析してみると「絵を描くこと」がダメなのではなく、「汚れたり、散らかったり」がダメだということ。
…ならばと、我が家にこどもたちを集めて、アトリエを開くことにしました。
絵を描きたい人はウチに来て描いていいよ、というスタンスです。

提供するのは、場所と道具と時間。
教えることなしに、こどもたちの秘めたる創作力だけで、どんどん作品は出来上っていきます。
皆で集まってワイワイ描くことは、こどもたちにとって とても楽しいことなのです。

「こうしたら・ああしたら」とこども同士で話し合う中で、絵の世界もどんどん広がっていきます。
お友達の絵を見ることもかなりの刺激になっているようです。
先生がいなくても、こどもたちだけで素晴らしい絵を描くことができます。

汚さないで…は言いっこなしです。

「伸び伸びと」が素晴らしい作品を生む重要なアイテム。

10人も集まるとさぞや汚れてしまいそうですが、紙に描く勢いではみ出した色が机についた以外、どこも汚れることはありません。じゅうたんも壁も無事です。汚されて問題なしの机でしたが、普通に拭くだけで、クレヨンも絵の具も落ちます。

特別なことは何もないのです。

大勢が集まり、嵐のように大騒ぎして、たくさんの「作品」を仕上げ、満足して帰っていきます。
部屋は特に汚れたふうもなく、平穏を取り戻します。

「絵を描くこと」は、親にとって、面倒臭いことにはなりません。
むしろ、大きな喜びを与えてくれるのです。

実際、迎えに来て我が子の絵を見た母親は、100%の満足を示します。
「えっ?これ、ウチの子が描いたの?」という反応です。
毎回毎回同じように。

私はお願いするのです。
「家に飾ってあげて下さいね。」と…。

「できれば一番目立つ所に。」

そして、次のアトリエで新作を描くまで、その絵はそこに位置するのです。

それを見た家族は、「あっ。また、ゆうちゃんの絵が変わった。今度も素敵な絵ね!」と声を掛ける。
ゆうちゃんは得意満面。またまた元気に、次回もやる気満々
…という好循環。

ひとつ、とてももったいないと思うことがあります。

絵を描くこどもたちの顔は生き生きと輝き
皆、喜びに溢れた表情をしています。

ただ、預けて行って、終了時間に迎えに来る母親たちは、その我が子の輝いている顔を見逃しているのです。

「うわぁ~、この花、全部花びら5枚ずつだ~。」と、絵を描く過程の小さな発見に、大袈裟に喜ぶあどけない姿を知ることがないのです。

ああ、もったいない。

家でも、こんな風に、自由に絵を描かせてもらえればいいのに。
泥んこにまみれるように、絵の具まみれになって。

手に。顔に。

絵の具がついたところで、洗えば落ちるのですから。

こどもの絵って本当に素直で大胆。
大人がマネしたくてもできないこども時代にしか描けない「絵」。

誰もが天才画家。

心の純粋さが、紙からはみ出すほど溢れています。
絵を描かせれば描かせるほど、宝物が増えていくのです。


せっかく絵付け教室をしているので、我が子3歳の絵をお皿に焼きつけました


豊かな表現力・創造力は、心も育てていきます。




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