【小説】 苔桃のジャムを煮る

留年が決定いたしました。そうです、決して私は悪くないのです。
悪いのは私ではなく社会であり、時代であり、圧倒的な権力であるのです。
牛丼屋のバイトを終えて駅に向かう途中、歩きスマホをしていました。歩きスマホをしていたら、留年が確定したという旨を記したメールが届いたのです。
死にたいと思いました、ただ死にたいと、死にたいと思いました。具体的な方法は思いつきませんでしたが、ああいう時は漠然と死にたいという気持ちが、心の底から湧き出てくるモノなのです。
改札を通った記憶はありません、迫り来る明かりは22時23分着の総武快速線直通君津行きのE217系でした。
そのまま轢かれてしまおうかと思いましたが、どうも飛び込む勇気が出ません。意を決して、と思い荒々しく息を吸っては吐いていると、目の前でドアが開いて多くの人が降りてきました。


「なにやってんだろうなぁ」


品川駅の女子トイレは永遠に混んでいます。
ホームのベンチに腰掛けながら、今までのクソタレな人生を思い返してみました。小、中と灰色の時代を過ごした私は、全てを新しく始めようと地元から遠く離れた高校へと進学しました。そこでの日々はとても楽しかった。受験勉強もそれなりには頑張ったはずです。その甲斐あって、今ではそこそこの大学に通っています。通っているはずです。順調にいけば来春から四年生になれるはずでした、それが順調にいっていないので春からも三年生を行わなければなりません。
家には帰りたくないな、かと言って行く宛もないしな。牛丼のどんぶりを洗う右手のアカギレがいつまでも良化しないのです、切れては治り、治っては切れてゆくのです。




山手線は、大都会東京をぐるぐると回っております。私はその黄緑色の背中に体重を預けて回り始めました。
あれほら、愛してる、と言うことは簡単なことです。高校生の時に、お付き合いをしていた男子に、愛してる、と言ってみる機会がありました。彼はいつも通りシニカルな笑いを浮かべて、私の頭を二回ほど撫でました。それはとても優しくて、とても残酷な行為でした。
列車は上野駅に到着しました。降りてみると、駅前の地下道から懐かしい夕飯の香りがしてきます。外は既に真っ暗になっていて、家路を急ぐ女学生の髪が闇と同化していました。
地下道。それは、太宰治が歩いた、あの上野の地下道と同じものでした。
私は何食わぬ顔で、不忍池の方へと向かいました。ええ、途中で西郷隆盛の像を見かけた記憶があります。西郷どんが連れていた犬が私に向かって吠えました、あの犬は金属で出来ているはずですが、確かに私を見て吠えたのです。
蓮の葉が何枚も浮かんでおります、ここは不忍池であります。東京という気高き街において、唯一窪んだ土地を見せつけている空間なのであります。
不忍池の、その池の上を歩ける歩道のようなものがあります。私はそこに、同じ学科の常盤(ときわ)くんを連れて行きました。常盤くんは私と同期入学の学生で、瑞季ちゃんというガールフレンドと仲良しのナイスガイです。(瑞季ちゃんも同じ学科の同期です。)
私は常盤くんの胸に耳を傾けて、彼の早まる鼓動を感じておりました。蓮の葉に囲まれて辺りからは一切見えることはありません。
私は彼の角ばった胸に口づけをしました、彼は何も言わずに私を抱きしめました。上野駅の隣は鶯谷駅なのです、それはそう、そういうことでございました。


くたびれたベッドで朝を迎えると、常盤くんは夜露のように消えてしまっておりました。
朝焼けの染みる鶯谷の鉄橋を渡るとき、足元の線路にまばゆく光るモノが見えるのであります。それはまだ乾ききっていない、誰かの血液のように見えました。
それから常盤くんに逢えたことはございません。山手線は懲りもせずにTOKYOを回っては回って、回っております。私は田町の駅で降りました、そこから幾分か歩いてゆくと、私が落ちたあの名門大学が姿を見せてきます。
私は夜に覆われないように大都会・田町を歩きました。途中の十字路を横断する際に、僅かに灰色のビル群の間に赤く照らされた東京タワーが見えました。
私は祈りました、あの明るい赤色に私もなりたい。なってやりたい、と。そういえば、どうして私のランドセルは赤色だったのでしょう。私は黒色がカッコいいと言いました。母は私を怒鳴りつけて、哀しい顔をして仕方ないことだと言いました。
慶應義塾大学を、除籍処分になった先輩を知っています。高校時代の、同じ軽音楽部の二つ上の先輩です。彼女は苦労して大学に入学した後に、放蕩に放蕩を重ねて、挙げ句の果てにはインドに旅に出たらしいです。
インドで人生の価値観が百八十度変わった、という先輩は、どこか虚な目をして私を見ていました。カラカラとファジーネーブルのグラスを燻らせて好きな性行為の体位の話をする先輩は、嬉しそうであり恥ずかしそうでもありました。




大学に入学して直ぐのこと、仲良くなりはじめた女の子に、渋谷に行きたい、と誘われたことがあります。
私は渋谷の“シ”の字も興味が無かったので、それなりの返事をしてから、当日はドタキャンをしようと思いました。
しかし彼女が、今日行きたい、どうしても行きたい、と言って聞かないので、私は渋谷のスクランブル交差点を渡っていたのであります。
この先をゆくと、私の好きな場所がある。そう言う彼女に連れられて、渋谷の隘路に迷い込んでゆくと、彼女は顔馴染みのように、とある建物に入ってゆきました。
それは、ボードゲームカフェなるものでありました。私はそこで、一人の老紳士と出会うことになります。私を連れてきた女の子は知らない茶髪の大学生と良い雰囲気になっています、私は空いている席に座り込んでよく分からない青いお酒を飲んでいました。
時間が経つと、人々が出たり入ったりを繰り返して、私の隣に、例の老紳士が座りました。彼は「クアート」というボードゲームを一人で転がしていました。どこをどう見ても二人で対戦するゲームに見えたので、私は酔いも覚めぬまま彼の耳元でお誘いを申し入れました。
老紳士は優しく手ほどきをしてくれました。彼の言う通りに駒を置いてゆくと、私は「クアート」という勝利の合図を得られてゆくのです。
ルールも半端に覚えたところで、私は老紳士に、本気で挑んできてほしい、と注文をつけました。
いつのまにか注がれたレッドブルウォッカは、このカフェで最も高いお酒だそうです。本当だろうか。
老紳士は口髭を撫で回して、うむ、と頷いたように見えました。私の脳の錯覚であるかも分かりません。
私が一つ目の駒を置こうとしたとき、彼は、ネギのたくさん乗った牛丼が好きだと話し始めました。私は思わず、その話に食いついてしまいました。
一体どこで私が牛丼屋で働いていると知ったのかは分かりません。ただ、気づくと私は追い詰められており、口髭の紳士は「クアート!」と叫んで勝利を奪い取っていったのです。


それからの記憶はございません。老紳士は私をタクシーに乗せてはくれたのですが、私は棲まう場所を追われて渋谷に行き着いたも同然の存在です。


「テキトーに東京を回ってください」


そんなことを言う私を、タクシー運転手は憐れむような目で見ました。はい、とも、分かりました、とも、できかねます、とも答えずに、タクシーは東京という名のハリボテの街を、ゆっくりと巡りはじめました。
東京タワーを幾度見たことがあるか分かりません。スカイツリーは私が寝かせておいたので、寝ておりました。東京ドームがまるで肉まんのように見えたので、肉まん、と名付けてあげました。
神宮球場で六大学の野球がやっていました、私は在学生として立教大学を応援しているつもりでしたが、自ずと対戦相手の東京大学を応援しておりました。
ああ、東大に通っているあの女の子とキスがしたい。




季節は夏に変わります。それは私の大学入学後、二度目の夏でございました。
私はサークルの皆んなと、鬼怒川の方へと旅行に行きました。一泊目から酷い豪雨に見舞われたので、鬼怒川らしいことはできませんでしたが、私たちは旅館の一間に寝転んで、無限に広がる宇宙の話だの、あの再結成したロックバンドの新譜の話だのを、夜通し繰り返しました。
男も女もそれ以外もそれも、どれもこれも秩序も頓着も無視して、恋をして、愛をして、敷いた布団にくるまって、トランプの数字を揃えて、傾けたグラスを空にしては、キスをして、いや、キスをしないで、窓を打ち付ける雨がそぼふるように歪んでも、いつまでも話をして、話をして、話をしては話をしました。


鬼怒川を、愛しています。同じサークルの女の子(仮に名前をシオリとします。)が、そんな夜の最中に私の布団に潜り込んできました。
私は木更津さん(一学年先輩)と、野本さん(一学年上だけど浪人してるから同期)と、榎本喜八の打撃の技術について語っておりました。
シオリは私の下半身にぴとりと抱きついて、そのまま寝息を立てて眠りこけてしまいました。雨は弱まるような強まるような雰囲気です。
山の天気は変わりやすいとは言いますが、鬼怒川は、山に囲まれておりながら、川を自称しているドイカレ野郎なのです。
木更津さんも野本さんも、気持ちよさそうに眠るシオリを優しい目で見守っておりました。
私と言えば、下半身の自由を完全に奪われた訳なので、お手洗いにも行けずに好きな話にも集中できずにおりました。
そのまま何とか私たちは酒を煽って、木更津さんが部屋を飛び出して、そのすぐ目の前の廊下に吐瀉物を誤爆したとき、シオリは眠たげな目を開けて私の顔にその顔を向けてきました。


「いま、チャコちゃんって、苦しいでしょう。チャコちゃんもね、楽しいことをね、あのね、苦しいときにね、楽しいことがあると、ほら、苦汁にさ、ミルクを混ぜたみたいに、全部カフェオレになるんだよ。カフェオレにね…ん、なるんだよ………。」


そう言って私にキスをして、また眠ってしまったのです。チャコというのは私のあだ名であります、小学生の時の私は、自分のことを下の名前で呼んでおりました。舌足らずであどけない少女であったので、さぞかし可愛かったことだろうと思います。
私は頑張って自分の名前を呼ぼうとしたのですが、どれだけ頑張っても「チャコ」としか呼べないので、周りの友達がからかって「チャコ」と私を呼ぶようになったのです。
シオリちゃんと野本さんが旅館の非常階段の踊り場で性行為をしているのを見たのは、それから二、三時間が経過した後のことでした。




中学生の時の同じクラスに、藤田さんという女の子がおりました。彼女はふくよかな身体をしていた、その一点のみでクラスの一軍グループからからかいの対象になっておりました。
私はカーストの最底辺を這っておりましたし、その一連の行為に加担していた気はありませんでした。しかし彼女がからかわれているのを知っていたし、その上で何も行動をせずにのうのうと生きておりました。
彼女はいま、私の家の近くのコンビニエンスストアでアルバイトをしております。私がお買い物をして商品をレジに置くとき、彼女はなにを思って接客をしてくれているのでしょうか。
あのとき私をいじめていた嫌なやつらの一人だ、と思っているのか、単なる昔のクラスメイトの一人だ、と思っているのか、それともただのお客さんの一人だ、と思っているのか。
最後のそれは私の願望であったのかもしれません、私は、私は彼女に許してもらいたいのかもしれません。
藤田さん、許してください。許してくださいなんてことは、大変おこがましくて失礼なことだと存じているつもりではあります。
許してくれても許してくれなくても構いません。ただ、私が気持ちよく生きられるように、私はこう言いたいのです。
藤田さん、許してください、と。




始発の、誰も乗っていない空の電車に乗り込んで、天も地も分からないほど酔ったまま、ぐらぐらと揺れる列車に運ばれては、自宅の最寄り駅までの、僅かな時間で本を読むのが大好きです。
この度は、太宰治の『人間失格』を読もうとしました、いえ、読んでいたのです。実は、この作品を読もうと思ったのは、今回が二度目となります。
一度目は高校生の頃、『人間失格』を読み始めた私は、その始まりから数ページで、「あぁ、これは読んではいけない」と思ったのを覚えております。
なんと申しましょうか、読んではいけない、読むと、死んでしまうかもしれない、死を選んでしまうかもしれない、という気持ちに襲われたのです。
そのまま栞を挟んで、数年間寝かせたままにしておきました。今なら読んでもいいかもしれない、そう思って懐中に忍ばせた『人間失格』は、今回も四十ページ目辺りで私の心を締め付けはじめました。
思えば、高校の時の担任の先生が、太宰治は陰鬱ぶってるけど根っこが明るい人間だから好きだ、と言っていたのを覚えております。それに比べて芥川龍之介はダメだ、あいつは根っこの芯まで黒ずんでいて、全身から棘が突き出ているような文を書く、とも言っておりました。
今なら先生に言い返すことができるでしょう。本当に怖い人間は、太宰のような暗そうだけど根っこが明るく見える人間なんじゃないか、って。




ラブホテル探訪を繰り返しております。東京の様々な場所にあるラブホテルを訪れては、付属品のセックスを致します。
今までで一番エモーショナルを感じたラブホテルは、連れ込み宿と表したほうが正確かと思われる、井の頭公園のすぐ近くにある古びたホテルでした。
同じくラブホ探訪を趣味とする長坂くんは私の中学時代の同級生で、進学した工業高専を三年次で中退して、今ではディズニーランドでほぼ毎日働いている輩であります。
余談だが長坂くんの初体験は高専時代の先輩(ヤらせてくれる先輩だったらしい)で、学校でも数少ない女子生徒だったらしいから、彼のこれまでの人生の中でもさぞかし甘いひとときを過ごしたんだと思う。
そんなことを書いていたら、俺が働いてるのはディズニーシーだよ、と訂正されちゃいました。
うるせえ。
この連れ込み宿の女将さんは、私たちを部屋まで案内してくれました。これからセックスをする二人が、優しそうな女将さんに館内を案内されている様子は、中々に面白いものだったと思います。
部屋は和室である。長坂くんが、部屋に置いてある姿見が怖い、というのでバスタオルを掛けておきました。
彼の苦手なところ、気持ちいいところはもう知り尽くしているから、ここに書いたりはしません。
口に出されたものを飲んであげることよりも、ご飯屋さんで奥のソファのほうを譲ってあげるとか、歩いているときに道路側を歩いてあげるとか、そういうことを愛って言うもんじゃないのかな。


「違う?」


「違う。」


友人に誘われて、夜のドライブに行ってきました。
免許を取りたての友人が直ぐに車を買ったと言うので、私を乗せてどこか遠くへ連れていってくれるようでした。
発車する前、私は友人が若葉マークをペタペタと貼り付けているのを見て、ど真ん中のほうがいいんじゃないか、と言いました。
彼女は、いいね、と言って若葉マークを一度剥がして、軽自動車の正中線の中央に貼り付けました。
重い腰をあげるように、おもむろに車は走り出しました。
私は、夜にドライブをしているとき、窓を少しだけ開けて冷たい風を浴びるのが好きなのです。
車は房総半島の最深部を目指して走り続けました。九十九里の海岸線を沿うように友人がアクセルをふかします。


「誰もいないからやっちまうか!」


そう言ってベタ踏みで悪ふざけをする友人と、やめろ、とは言いながらも助手席でケタケタ笑ってる私を乗せたミラジーノ。
潮の香りを孕んだ夜風が、ほてった私の頬を撫でてくれます。私は、水が買いたい、と言って近くのスーパーに入りました。
一度も訪れたことのない、そしてこれから二度と入ることのないであろう、房総半島の下の方の、本当にさびれかけたスーパーです。
そろそろ閉店時間が迫ってきているのでしょう、店内にお客はまばらです。
私はコーラと刺身を買いました。友人は小分けのチョコレートがたくさん入ってる大袋を買っていました。お会計の際、私たちと同世代であろう若い女の子がレジをしてくれました。金髪を後ろで一つに結っている、かわいい子です。
お会計の際に、彼女が誤って商品を落としかけてしまいました(落ちてはない)。炭酸ですから、彼女が、取り替えてきますね、と言ってレジを出ようとしたので、私は全然大丈夫でっせ、と言いました。
でも………。となる金髪の彼女に、わたし炭酸抜きコーラも好きですよ、とちょけて言うと、意表を突かれた友人が鼻から勢いよく吹き出して、三人一緒にレジを囲んであはははと笑いました。
駐車場に停められた軽自動車の中で、友人はチョコレートを貪り続けております。私は、臭いがつくと申し訳ないから、と言って、隣のスペースの車止めに座って、刺身を親指と人差し指でつまんで食べておりました。
生き返った、と叫んでトロを震わせながら友人に近づくと、本当だ、と言って彼女は私の指ごとしゃぶりつきました。
帰り道、彼女がエックスのラスティネイルを流しました。私と彼女はめちゃくちゃに歌って、もちろん安全運転で、私が原キーでサビを歌えることを、友人は、すげぇな!と褒めてくれました。
家に帰ったあとは、泥のように眠りました。
私は、これから将来どれだけ高級な乗り物に乗っても、二十歳の今に乗る、地元の友人が運転する軽自動車のほうが良いと思うのでしょう。
二度寝をしようと布団の中でまどろんでいる時間が心の底から大好きだ。愛している。
起き抜けに、カーテンを開けて昼下がりの日差しを浴びてみます。昨夜貰った小分けのチョコレートを、口に放り込んで顔を洗いました。
ペットボトルがいくつも散乱した室内にひとり、たったひとりで生きております。
死にたいという気持ちは、すこしだけうすれておりました。うすれておったのです。






小林優希

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