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神とは愛であり、その愛の循環作用のトライアングルが宇宙そのもの

自分は何をやってきたのか。いつも楽な方へ楽な方へ逃げていた。もっと楽な稼ぎ方はないかと探しながら、適当に生きてきた。それが自由だと思っていた。

人に使われるのは嫌だ、だから自分で何かをやりたかった、長時間労働の奴隷にだけはなりたくなかった。しかしどんなに自分で稼ごうと思っても、そううまくはいかない。

自分が悪い、そう…、自分が無能だから稼げない。それを面倒くさい、お金なんかいらない、そう思いながら逃げてきた。


適当に生きたいから、稼げもしない委託をやったり、短時間労働ばかりやり、何処かに所属するのを避け続けてきた。


そのくせ、人のことを考えては憤り、勝手に腹を立て、自分のことじゃないのに。我慢できないぐらい腹が立つ。

そんなのほっとけばいい、それでいいのに、それができない。解ってる、思想主義には道理と現実的な考え方がある、人間のコミュニティにとって秩序は大事。

それでも、排除される人を見るのは嫌だ、たとえ決まりやルールを守らない人でも、1人責められてるのは見るのが嫌だ。

擁護するために、人とは違う陰謀論を語ってきた。悪人扱いする人達を信じたかった、疑うのは嫌だ。偏見者は許せない、しかしキリストは悪人には逆らうなと言う、右の頬を叩かれたら左の頬も向けよと。


誰かにとっての悪人は、誰かにとっての善人でもあるから、自分の勝手な正義感のジャッジで物事を判断できない。

まだまだ自分は未熟者、愚か者、物事を見誤る、善悪の知恵に溺れる。


それでも、責められてる人達、LGBTの人達を擁護したい、移民を擁護したい、自分のことじゃなくても無性に腹が立つ、どうしても。

たとえ、どんなに好きな人でも、偏見的なものがあるなら怒ってしまう。自分は面倒くさい性格、これは何だろう、やっぱり幼少の頃から漫画やアニメ、映画などの正義プロパガンダに洗脳されてきたのかもしれない。


解らない、何が正しいのか。今だ善悪に答えを見つけようとしてきた、自分でそこに答えはないと言ってるのに、やっぱりそれに答えを求めてしまう。


陰謀論を追求すれば、そこには必ず善悪の壁が立ちはだかる。人によっては善となり、人によっては悪にもなる、頑張って答えを見つけようとしても頭が痛くなる。


自分は無理矢理にでも善なる者としていたいのかもしれない。その時点で善悪の知恵に溺れてる。これなら悪を極めた人の方がよっぽど覚ってる。

お金はいらない、お金より愛が欲しい。人からの愛ではなく、自分自身の愛が欲しい。


ただ、ひたすら一途でいられる、純粋で汚れなき心が欲しい。それはとても苦しい心で、辛く哀しい、胸が痛くなる心。

いつまでも癒えない、何かを見れば簡単に傷つく繊細で壊れやすい心。だけど美しい、この世で一番美しく汚れなき心。


嘘などつきたくない、承認欲求で知恵があるフリなんかしたくない。賢くなくていい、凄い人になんかなりたくない、特別な誰かになりたいと思わない、ただ女神の側にいたい。


それだけでいい、他に何も望まない。天秤の持ち主は女神だけでいい。

星になりたい、もうこの命は神に捧げる。

生まれ変わりもいらない、天の国に行けなくてもいい、永遠の命はいらない。たった一瞬でいい、女神の手に触れられたら、自分の全てが消えてなくなってもかまわない。


アストライアー、あなたは何処にいる。乙女座となったあなたは、何処にいる。この世界にはいない、何処を探しても、女神がいない、もう疲れた。


神は、なぜこんな世界を創ったのか。どうして天使は現れないのか。あの時、どうして目の前に現れたのか、なぜ今現れない

人の心を救えない、どんなに言葉を尽くしても変わらない。この命燃え尽きるまで、諦めない、最後の時まで。


いくら嘆いても悲しんでも、人々の神への懐疑的意識は変えられない。東と西の分断対立は終わらないウロボロス。

人は人であり、光は光としてあり、闇は闇としてあり、そのどれもが1つとしてあり、変えられない普遍的なる現実の掟。

質量はエネルギーとなり、陰と陽は無限回転を続けるための+と-、プラスは-を追いかけ、-は+に引き寄せられる。+と+は反発し、-と-も反発し合う。

男は女を求め、女は男を求める。与えたい力と与えられたい力の相互作用が新たなるエネルギーを生み出す。アダムとイヴは常に2つで1つ、光から闇が生まれ、闇から光が生まれる。闇があるから光は輝き続け、光があるから闇は存在する。

始まりがあれば終わりがあり、旅立ちは旅の終わりの始まりでもある。キリストは33の終わりであり13の始まりでもある。


神とは何か、神とは愛であり、その愛の循環作用のトライアングルが宇宙そのものであり、我々自身でもある。それが始まりであり終わり、アルファでありオメガ、父と子と精霊の三位一体、三種の神器、契約の箱。

この愛は精霊へと渡し子へと受け継がれる。愛は全てなので血と肉になり、DNAとなり、素粒子となる。この身そのものが愛であり生命、始まりは終わりとなり、終わりは始まりとなる。誰かの命が尽きる一方では新たなる命が生まれる。

愛は時間でもあり過去と未来でもある。3つの点による愛の流れ、その永遠なる無限回転が全てを生み出し終わりを始まりにする。


暗がりを駆け抜け、先に見える光へと突き進み、やがてその光の中へ入り融合する。消えぬものは消えず、見えぬものは見えない、この心は苦しみと哀しみが揺れ動く異次元の狭間の中で時を刻む。

心臓の鼓動は時計の針を進め、終わりへと近づき、始まりへと進む。この想いは永久なる静寂を求め、宇宙の彼方を漂い続ける。


過去は今であり未来は今、明日は今日であり昨日は今日。時間とは動きであり時空の歪み、質量は物質とエネルギーの放出によるスパークを引き起こし、やがてその器は0の領域へとたどり着く。マクロとミクロが重なる最終で発生地点となる0、それが神の領域。

何もないから何かがある、何かがあるから何もない。0だからこの世が生まれた。0の中に全てがあった、何もかもが0から始まった。0が1となり、やがてその領域は最大となり最小となる。

自分の奥底、素粒子よりもミクロの中となる紐理論の先には何があるか、それは最大マクロの到達地点となる0、そこを越えた先に自分がいる。宇宙の果ては自分の中にある。

だから神は愛なんだ、その循環作用が宇宙の全て。生み出し、渡し、消費し、また生み出す三位一体の流れ。

我々自身が神の体内であり、神そのものが我々であり全てとしてある愛そのもの。その愛の循環作用、美しい3つのトライアングルの流れが新しい生命の夜明けとなるキリストの再臨となる。







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