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蛇、悪魔、人間を拝み信じるから、影響させられるから自分の全てを恥辱する結果を生む

愚痴や不満など言わないし、言っていない。自分が話しているのは世の中への愚痴じゃない、自分が満たされない不満なんかじゃないし皮肉や文句でもない。

偏見などない、差別的意識などない、自分がこうしてるから他者もこうすれと強要したいわけでもないし誰かを従わせようなんて考えてもいない。お金などいらない、数字も人気も肩書きもステータスも何もいらない。

主義もないし何にも属さない、仲間もいなければグループもない。自分はいつまでも1人、昔からずっと孤独として生きている。みんなが海に行くから自分も海に行くなんて事はしない、みんながお祭りに参加するから自分も参加するなんて事はしたこともない。

自分に一般的などない、これが普通である、の生き方などした事もないし「みんなやっているから」、のその行為などに参加したことはない。誰でもいいからで人を好きにならない、関係など持とうとも思わないし、真の愛が無いなら、色欲だけで異性に指1本触れた事もない、だからと言ってルッキズムに悩んでもいない、キャバクラに行っても色欲を出した事などない。自分を汚す全ての恥辱から己の心1つで守ってきた。

何も持ってはいない、失うばかりだが、自分は何も持たない、何にもない。それでも愚痴や不満など言わない、これで充分だと解っているから、この体1つあるなら、余計なものなど何もいらない。

自分のようになれ、そう言ってるわけではなくて、誰もこうはなれないと思う。これは自分が自然にそうなっただけで、自然にそう生きていた、いつの間にか、子供の頃からそうなっていた。そうなろうとしてなったわけじゃなく、元からこうだった。まるで何かに守られていた、守護霊か何かか、そんなようなものが自分を何かから守ってる、ずっとそう感じていた。だから全てを自然に任せ生きてきた、だから自分はこうなった。


偏見的な意識や差別主義的な感情、それを持つのは自身が満たされないから、だから自分より下と見なす者を探しては優位に立ちたがる、優越を欲しがる。人の足を引っ張っては引きずり下ろし貶めたがる。

なぜ上下関係など必要なのか、そんなものがあるから人間を拝む癖がなくならない、それが当たり前、普通として生きるなら何者かの支配下になる現実に不満などぶつける必要もない、各々がそれを望んでるんだから、黙って従ってればいい。

それが権威主義、個人崇拝であり、何者かに従ってなければ生きられないのならそう生きてたらいい。その不満の矛先に自分よりも下と見る誰かを探し、小さな権威と小さな世界の個人崇拝に浸っている、それが多くの日本人の心理。

自分が嫌な事を別な誰かに強要する、支配したがる、命令を聞かせたがる、子分か舎弟のようにしたがる、信者にしたがる、従わなきゃ威圧する、威嚇する、恫喝、貫禄を見せる、その行いが獣でないなら、どんなものが獣だと言うのか。

何が礼儀だ、何がリスペクトだ、そんなもの欲しがるから小さなカルトをあちこちに作っては小さなカーストをそこらじゅうに誕生させる。人を見た目で判断したり、ちょっとした違いで見下したり偏見的意識で他者を見ては自分勝手に決めつけて排除しようとする。いつまでそんなつまらない事を続けるのか。

単純接触効果で信じる人を決める、だからサブリミナルのように見せられてるプーチンや金正恩にすら親近感を持つようになり、なぜか好感を持ち信じてしまう。それがスターリンやヒトラーでも、ポルポトでも、習近平でも同じ心理になるだろう。どんな人間なのかより、顔見知り、いつも見る、それを重要とするからプロパガンダに騙される、マインドコントロールされる、洗脳される、群衆心理を操られる、だからいつまでも小羊なんだ。

自分の自由を奪われてもおかまいなし、逆らおうと、反発しようと思う気力もないし、逆らう根性すらない。それは理不尽だ、自分はあなたの奴隷ではない、誰かを目の前にして、面と向かって正直にそう主張する事もできない。できないから従う、心では納得してなくても逆らえないから自分で自分を納得させるための理由を探し、自分に言い聞かせる。これが当然だと、これが普通、当たり前だと、長いものに巻かれて我慢を強いる。


お金ごときを絶対とするから支配される、人間など信じるから洗脳される。自分でそんな生き方を望み、逃げられない檻の中で自由と叫び続ける不自由な家畜、道具として使われるだけの奴隷、自分からそんな生き方を選んだのに、この世界をくそのように見ている、逃げられない檻を自分自身で作ってる。

お金のためなら自分の全てを汚してもかまわないと考える、拝金主義の蛇の言葉に騙され支配下とされ、何もかも恥辱され屈辱的な思いをさせられても、それを喜びだと思い込む。それが自由だと思ってる、何者かの支配下でいる自分に気がつけないで悪魔の糞の肥溜めに浸かり、頭も心も体も全身腐敗させられ汚れ尽くす。


面白い時



それでも自分は悪魔にとりつかれた者から、その蛇の糞を洗い流したい、だから神の愛、その言葉を綴る。蛇の呪い、悪魔の肥溜めは愛で浄化する、綺麗さっぱり美しく生まれ変われるように、光の天使となれるよう、悪魔の血で洗った真っ白な衣を羽織らせる。


思考の恥辱、心の恥辱、体の恥辱、何もかも全てを、この透明で純粋なる心から溢れ出る神の聖なる愛が全てを洗い流す。本当の自分として生まれ変わるために、愛が浄化する。



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