幕末の関係性がわかりません

【質問】- - - - - - -
日本史について質問です。
幕末の公武合体あたりの勉強をしています。
安藤正信が公武合体の示し?として孝明天皇の妹<和宮>と徳川家茂を結婚させたみたいな話がありますが、天皇は幕府側なのですか?朝廷側なのですか?

幕府と朝廷の違いがよくわかりません。

この当時の尊王攘夷派は朝廷側に付いていて、天皇は朝廷側にいる、という事ですか?



【回答】- - - - - - - -

幕末あたりはちょっとややこしいですもんね。

「朝廷」というのは日本を建国した人の子孫です。天皇がこれにあたります。

歴史がすすむ中で色々な権力闘争がありましたが、その中で"武士"に権力(政治の力)を与えたことがあります。これが「幕府」です。

江戸時代なんかはまさにこれで、"朝廷(天皇)に任命された幕府が代わりに政治を行う"という時代でした。

幕末、孝明天皇は「朝廷と幕府が結束して外国を追い払おう」というスタンスでした。
江戸時代の形を壊す気は別になかったんですね。なので妹を徳川に嫁がせるのも乗り気でした。

「尊皇攘夷派」というのは
"天皇の攘夷思想を行おうとしない幕府をたおせ"という思想です。
天皇を崇敬してはいるものの、天皇の考える「朝廷と幕府が協力」という思想には反している勢力ということになります。

この時代、朝廷か幕府か というような時代の変化があることは間違いないのですが、当の孝明天皇自体は「幕府と仲良くやるべきだ」と考えていた ということをおさえるのがポイントです。

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