内なる自分と外の世界。心の広さと可能性。

みなさんこんにちは。

日曜日の午後、ですね。

どうお過ごしですか?

私の地域は土日ともに天気が優れていないこともあり、若干引きこもりがちです。

晴れ、大好き人間です。

ですが、昨日今日に関してはなぜだかこの雲りや雨の天気を受け入れられている自分がいます。

なぜだろう?

答えは分かりました。

一つは例年になく春が早く、あたたかい日が続いていたこと。

これは嬉しい限りです。新年度に入ってもまだ冬の寒さが残りがちな私の地域。

新年度に入りリニューアルした朝の報道番組から聞こえる明るいアナウンサーの声、それと共に映る都心の晴れやかな外の様子。自宅に入り込む日の光。

うん、違和感がない。!!

……………


ぶつぶつ、グチグチ、不満不平を言う、

なんてことはしていないのですが、物凄く気にしている、

いやしているというよりも自然に"気になっている” 。

そういう自分がいることに、天気予報を見て、実感する。

なぜだか取り残されているように感じたり、「違い」を突き付けられているように感じたり、こっち側は… とどこか自分側に対する引け目を感じていたり、など。

私の地域は田舎でもなくそれなりの人口がいるわけで、何万人もの住民が同じ気候の中その日を過ごす。

それなのに、私ときたら……。

都心への憧れは特に無い。故に私の執着は本当に天気そのものだ。

晴れ、暖かさ、  への執着だ。

何ともまあ、生きづらい !

なんて、何で、こんなにも、気にするんだ !!



……と、今の自分が過去の自分に言っています。

日の光は大好きで、人間の身体的影響としても日光浴は良いということを証明されている。

光を見ると、本当に「わたし生きてる~!!!!」

なんて自己肯定感が爆上がりするし、何だかんだ昔から好き。好きの度合いなんて分からないけど、好意を伝えるコンテストがあるのなら、たぶん出場して優勝を狙いたいぐらいには、好き。  笑

体質的に、か分からないけど、寒いのが苦手。

冷え性であるのは確か、だけど何だろう?

一般的な寒さ、が分からない。

私は一度冷えたら本当に戻らない。

自然に戻る、なんてあり得ない。

暖房は効果なし、お湯に当たってしっかり芯から温めないと、戻らない。

なんていうのが特徴だけど、これはどの程度なんですかね?

そんな私心身の特徴はどうでもいい(なら書くな)話なんですが、

こう…その… 恐らく…

健康にこだわっているんですよ! 自分の心身が安定し、不足が無い、

そんな自分になるために、必死なんですよ!!

これは労わるになりますか?拘りに入りますか?どちらですか? 。


暖かい気候の地域が合っているのは、きっと確か。

しかし ~だから!と決めつけをして動くのは違うし、それだけでは動けないかな、というところ。

自分で好きな場所を選んで、自分で動いて、居場所を決める。

そんな自由が存在する、 知っているようで知らなかった。

存在の有無ではなく、心でそれを選択する自由、それを実行できる環境時間の自由、

つくり出すことが出来る 自由 。

多種多様の、いまの、これからの 自由 に、

希望を持っている。

自由=幸せ ではないけれど、 可能性を秘める 自由 という存在に、悪意は含まれない。

未知なるものを見つけるために、見つけたときに理解するために、自分という存在を知るために、

自由を手にしてみる、ということは一つの挑戦ではないかと思う。

死に物狂い、とか一生懸命、とか

そういうものではなく、自由 を 自由 に愛すること、

そういうことを感じ取っていきたいなと思う。


世界は広い。

「測り」の単位は何でもいい。

長さでも量でも深さでも、自分の好きな単位でいい。

単位はなくてもいい。


ただただ、その全てを受け入れ、学んで気付いていきたい。


この世界の楽しさに、私は今、ようやく、気付くことができた。



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