見出し画像

『アイドル智美・因果応報』 エピローグ

 翌日たまたまオフだった智美の元に、内容証明付きの速達が送られてきた。それは事務所からの契約解除の通知だった。その中には違約金として契約満了までの残りの期間十ヶ月分の給与プラスその五十パーセントに相当する金額を口座に振り込んだ事が記載されていた。
 まるで計ったようなタイミング。ここに来て智美は今回の件が以前から事務所ぐるみで計画されていたものであることを悟った。
 何もなければとても外出する気分ではなかったが、この事態を受けて慌てて事務所を訪れた。しかしまともに取り合って貰えず、世話になったスタッフに挨拶することすら許されなかった。
 ABCのメンバーで仲が良かった何人かにも連絡を取ってみたが、メールを送っても返事は来ず、電話をしても誰も応答しない。非通知でかけても相手が智美と分かるとすぐに切られた。
 後日正式に智美のABC26卒業が夏本から発表された。脱退ではなくあくまで卒業とされていたが、理由も『一身上の都合』としか発表されず、智美本人の会見も行われず卒業に当たってのイベントもなかった。その一ヶ月前に卒業コンサートが行われた信田麻里子とはあまりにも対象的な扱いだった。
 主力メンバーの一人であった智美の卒業に対してのそんな扱いに、多くのファンからニュースサイトやABCのホームページにプロデューサーである夏本を避難するコメントが寄せられた一方、智美卒業を歓迎し、夏本の英断として賞賛する書き込みがその四倍以上寄せられたこともまた事実であった。
 それでも智美のファンはソロでまた新たな展開があるだろうと期待して待ったが、それが起きる事はついになかった。また母体のABC26もまるで智美が最初から存在しなかったかのように活動を続け、智美のことが話題になる事も次第になくなっていった。
 そして数ヶ月が過ぎたある日、智美は新宿の中古CDショップに姿を見せた。顔が分からないようサングラスをかけていたが、スレンダーな肢体にグレーのスーツとタイトスカートをまとったその姿に、店内の客は智美とは分からないまでも一般人とは違うオーラを感じ、智美に視線を送っていた。
 智美は棚から一枚のCDを手に取るとレジに向かった。
 「お願いします」
 そう言って差し出したのは今年の一月に発売された自分のデビューシングル『My Dear K』だった。

デビューシングルの価値はもはや…

 「いらっしゃいませ。百円になります」
 一瞬智美の身体が石のように固まった。
 「お客様、どうかなさいましたか?」
 「い、いえ…」
 店員にいぶかしげに訪ねられ、智美は我に返ったように慌てて財布から百円玉を取り出すと店員に渡した。
 「毎度ありがとうございます」
 丁寧に頭を下げる店員に背を向け、店を出た智美は新宿駅へ向かった。
 解雇された後、いくつかつてを頼り契約してくれる事務所を探したが、今回のことが伝わっているのかどこからも色好い返事はなかった。
 妊娠を避けられたことが唯一智美にとっての救いだった。
 失意に打ちのめされた智美にとって、もはや東京に留まる意味はなく故郷の大阪に帰る事にした。
 改札を抜け、階段を上りホームにたどり着くと、急病人が出て電車の到着が遅れているというアナウンスが流れていた。
 智美は袋を開け、買ったばかりのCDを取り出した。
 あれからまだ一年も経っていないのに、どうしてこんな事に…
 デビュー前、駅の掲示板を飾った顔写真のジャケットを見ていると、僅か一ヶ月ほどの短い期間だったが、スポットライトを浴び、ダンサーを従えて踊り歌った華々しい日々が思い起こされた。このCDだって発売されたばかりの時は一週間で十五万枚を売り上げたというのに、今は百円の価値しかないというのか。
 「うっ、ううっ…」
 サングラスの下から一筋の涙が流れ落ちた。熱いものが胸に込み上げ智美は肩を震わせて嗚咽した。
 「お嬢さん、どうかしたのかね」
 振り向くと優しそうな老紳士が智美を心配そうな顔で見ていた。
 「い、いいえ…何でもないんです。済みません…」
 その時電車到着を告げるアナウンスがあり、続いてオレンジ路の車両がホームに滑り込んできた。ダイヤが乱れているためか車内はかなり混雑が酷い。
 ドアが開き、吐き出されるようにドッと乗客が降りてくる。乗り換える客が多いため一時的にかなり車内は空いたが、同じくらいの数の乗客が我先にと空いた車内へ乗り込んでいく。その群れの中で押されながら智美の姿は車中へと消えていった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?