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現代はSNSの人格が、その人の人格としてカウントされている

どうも弁当を40個完売できる福原です。

ここ最近、学生さんに200円でお弁当を売るという活動をしています。

本日初めてオープンして弁当販売の行列が出来ました。

誤解を恐れずいうのなら、昨日の弁当販売終了後、オープン直後に行列になるような仕掛けをしておいたのでまあそうだろうなぁと思ってみていました(#嫌なやつ)

今日は「行列ができるかどうか?」それだけを確認したかったので、店頭にいきました。決して煽ったり、ドヤったり、意地悪をしに行った訳ではありません。(多分…)

SNSって承認欲求の為とかストレスのはけ口とか情報発信とか色々あると思うんですが、僕は今SNSを…というか、このnoteを「名刺」として位置付けようとしています。

今の時代、その人とナリをどこで判断するかというと、その多くはSNSでの立ち振る舞いです。
そこには、思考や言葉遣いまで掲載されているので、SNSというのは、かなり解像度の高い「名刺」「履歴書」になっている。昨日、お友達の「けんすう」さんが言っていたのですが、情報の時代というのは実在するリアルの身体とか人格とかはどうでもよくて、情報空間でのキャラが重要になってくる。要するに、現代は「SNSの人格が、その人の人格としてカウントされている」という話です。

このnoteを書こうとした矢先、キングコング西野さんが同じような事を書いていて複雑な気持ちなんですが…

つまり今SNSは「私はこういうものです」って1番分かりやすい名刺なんですよね。

このnoteを「名刺」として機能させていきたいと言ったのはその為で、
福原渉太ってこんな頭の中してて、何が嫌いで何が好きなんだ。こんな文の書き方するんだ。真面目な人なんだ。ふざけてる人なんだ。これらnoteでごっそり知って貰おうという事です。

その上で僕がしたいのはフィルター作業で、こんな人だと知ってもらえると仕事でもプライベートでもスムーズだし、このnoteをみて福原とは相性合わなそうだなと思った人は連絡をとってこないわけだから、僕も相性合わない人からのアプローチが減って一石二鳥です。

ただの情報発信や続けているだけだとあんまり意味がないので、何の為にやるかを考えないとダメで、お弁当販売のSNSをそれを意識して投稿するだけで行列が出来たりするわけです。

何が言いたかったんだっけ。。。

「自分の中でSNSをどう位置づけるか」がとっても大事。かな?

ストレスのはけ口や承認欲求も立派な使い方なので、色んなツールや見ている人の違いでその都度使い分けるといいかもしれないですね。

ちなみに僕はFacebookを「期待ローンの窓口」として認識しているので、自分の能力以上の期待をしてもらえるように書くときに意識しています。(#やっぱり嫌なやつ)

おしまい。


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