カレーにまつわる話
私は昔っからカレーがすきで、それはおばあちゃんちがカレー屋さんやから。店の名前は「太陽軒」と言うて、地元ではけっこう人気、常に4人くらいはお客さんがおる。お母さんもそこでお手伝いをしていて、パートの中村さんというおばちゃんと3人でやってる。それほど大きくはないけど、昔の喫茶店みたいなふんいきを私は気に入っている。
おばあちゃんちのカレーはほっぺたがおちるくらいにおいしい。見た目はいたってシンプル。まあるいお皿に上半分が白ごはん、下半分がルー。ルーは細かくみじん切りにした玉ねぎが見えなくなるまでとろとろに煮込む。30年以上もお店をやってるのにレシピを覚えないおばあちゃんはいつもぼろぼろのレシピを見ながらカレーを煮込む。店は10時半から14時半の間だけ。店の閉まったあと、最小限につけられた蛍光灯の下でレシピを片手に持ってお玉をぐるぐる回すおばあちゃんはけっこうかっこいい。むかしは夜もやっていたらしいけれど、私がうまれるちょっと前、おじいちゃんが死んでからは昼だけに変えたらしい。ちょっと残念な気もする。夜やってるお店も見てみたかった。お店とお店のとなりにあるおばあちゃんちにはいっつもカレーと、とんかつのあぶらのにおいが満ちている。私はだからカレーととんかつのにおいをかぐといつも決まっておばあちゃんちを思い出す。
おばあちゃんちのカレーに具はない。そしてとても辛い。さっきもいうたけど、玉ねぎがとろとろになるくらい煮込まれているから。辛いねんけど、ちょっと玉ねぎのあまみもある。これが不思議。私は高校生になるほんの最近まで生たまごをルーの上にぽちゃっと落とさんことにはぜんぶは食べ切れんかった。
『「太陽軒」のカレーはどこのカレーとも似てなくて、おいしいわ。』昔そうやってジョーレンさんが言うてくれたのを私はいつまでも忘れないでいる。(私は小さいとき、おばあちゃんの言う「常連さん」のことをジョーレンさんという外国人のお客さんやと思ってた)
おばあちゃんちのカレーのルーのとろみは少なくて、でもしゃばしゃばって感じでもない。牛すじをトッピングすると、食感のアクセントになってたのしい。福神漬けはトッピングし放題で、たくさん盛る。らっきょうもそうやけど私は使わない。すっぱいねんもん。カレーの前にはサラダが出てきて、私はそれをいつも三口で食べてしまう。おばあちゃんはそんな私に「よう噛みや」といつも忘れんと言うてくれる。前に言ったのを忘れてるだけかもしらんけど。
カレーにとんかつをのせる前、おばあちゃんはなれた手つきでじゃぎっじゃぎっとあげたてのとんかつを切る。そのいちれんが私はとてもすき。コロッケやエビフライはおばあちゃんの気まぐれでついてくる。両方乗ってきたときなんかにはいただきますを言う時、両方の手の親指と人差し指の谷間にはさまったスプーンをいつもよりつよくはさんであげる。
おばあちゃんはお店のことでいやなこと(だるいーとか、めんどー、とか。)を言うてるのを私はきいたことがない。そういうおばあちゃんのつよさみたいな部分、決してがんばって出そうとしているわけじゃなくて、にじみ出てしまうもの、を私はひそかにソンケーしていて、そういうのも玉ねぎと一緒に煮込まれてる気がする。高校生の私にはきっと出せない味。そのかんじもすき。
カレーを食べ終わると(口の周りはヒリヒリしている)、おばあちゃんは私にコーヒーかゆずのシャーベットをすすめる。私はさいきん、コーヒーをもらう。少しにがい。結構にがい。たまに加糖のときがあって、そのときはちょっとだけまし、ちょっとだけ。けれど私はさいきん、コーヒーをもらう。「フレッシュは?」「いらーん。」やっかいな年ごろー、と、じぶんでもよく思う。まあ私は箸が転んだくらいでは笑わんけど。
「太陽軒」は私の通っていた小学校のすぐそばにあって、よく"せんせえたち"も食べにきた。担任のせんせえと学校の外であうのはへんな感じがした。せんせえが「こんにちは」と言うてきた時はいつも、学校よりもあかるい声で「こんにちは」と返した。おばあちゃんとかお母さんがきいてるから、そうした方がいい気がして。忘れ物をしておこられた日はすこし後ろめたいきもちになっていた。でもそういう時、私はすこし恥ずかしくて、ほんまはけっこう誇らしかった。