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コロナでもそうじゃなくても

一年ぶりにおばあちゃんに会いました。

いつもなら年に2~3回くらいは帰省していたので、2020年はコロナのこともあり、とても久しぶりの再会。


久しぶりに会う祖母は、最後に会った時には真っ黒に整えられていた髪の毛に白髪が目立つようになっていて
「外に出ることも控えるようになったから、美容院に行くのもやめてね~。白髪染めももうしないことにしたんだ」と言っていて。

それは自然なことだし、全然いいのだけど
増えた白髪の数を見て、あぁそうか、歳は重ね続けていくんだよなという事実をシンプルに思い出しました。

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祖母は42歳の時に初孫(わたし)が生まれたので、同学年の友達たちの中でもかなり若いおばあちゃんでした。

だから、どうしても昔のイメージがずっと残っている節もあっていつまでも50代くらいの印象で止まってしまっていて(笑)

ずっと仕事も家事もバリバリにこなしていて、いつも背筋はしゃんと伸びていて、シャキシャキ働くのに、いつも優しくて、穏やかで、(好きな人に順位なんて本来付けられないのだけど)いつ会っても、ずっとずっと一番好きな人だな~と思う相手が、昔からかわらず、おばあちゃんなのであります。


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なので正直、年を重ねているという事実は変えられないし、白髪の件に加えて、私より背の高かったおばあちゃんの身長が私と同じくらいになっていたり、ふくよかだったおばあちゃんがだんだんと細くなっている姿を見ると、当たり前なのだけど、加齢の現実を把握して、あーあと何回こうして会えるのかなってことが頭によぎってしまう。

それを考えるだけで、どうしてもかなしくなってしまうのでありました。

別におばあちゃんは今病気とかそういうことではないのだけど
わたしは根がネガティブなので、楽しい予定がある日も始まる前から『あぁ、今日が始まったらこの予定も終わってしまうのか』とか思ってしまうタイプで(笑)

抗えないし、仕方がないことなんだけど、それでも勝手にいつか来るお別れの日を想像して、とてつもなくつらくなってしまう。


でも、冒頭で、”去年は全然会えなかった”と、あたかもコロナのせいみたいな書き方をしたけど、それは半分正解で半分は言い訳なんですよね。



コロナがあって頻度が下がったことは事実だけど、そうじゃなくても、どこか”落ち着いたら、いつでも会おうと思えば会えるし”とは思っていたし(現にそうではあるんだけど)
仕事の忙しさとかにかまけて日頃の連絡を取るとか、もうちょっと会えないにしろ、”会う”に代わる何かの機会を作るとかいろいろできたのにしなかったわけで。

大切にしているようで、実際はしていないのは自分なのにこうして現実を見つめたときだけ思い出したように大切にしようとするのは、本当の優しさや愛ではないのではないか、とも思ったりもして。

だから、この気持ちを忘れたくないし、忘れないようにしたいしという思いも込めてnoteを書きました。(毎日更新のつもりが日付が変わってしまったけど 笑)


コロナがあって変わってしまったことはたくさんあるんだけど、コロナがあってもなくても(このこと以外にも)もっと考えるべきだったり、そこに気が付いたりした方が良かったことってほかにもたくさんあるよなって感じました。


働き方、人との付き合い方、生き方、お金の使い方、何を大事にするか、価値観全般、コロナによって覆されたことって山ほどあると思うけど、コロナじゃなくてもほんとは考えなきゃいけなかったことだよなと。

タイミングやきっかけは、環境や周囲からの影響によって左右されることは多々あるとおもうけど、考えることはいつでも自分の中でもっておかないといけないし、

自分がなにを大切にしてるのか? なにを大切にしたいのか?は
日々考え続けていこうと思いました。
そして大切にしたいものを大切にするために生きるというのが自分のアイデンティティなのかもしれない。


多分コロナはまだまだ落ち着くことがないのだろうなと思います。

コロナでもそうじゃなくても変わりゆく時代の中で唯一変わらないものがあるとすれば、それは自分自身そのもの。これは何がどう変化しても嫌でも一生死ぬまで一緒にいないといけない。

だから、「かもしれない」アイデンティティを深堀して、それを見つめていくこともしていきたいというのが今年のテーマの一つです。


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