春化粧
枯れてゆく花が惜しくて、ずっと眺めていた。
雪解けを告げる風は暖かくて、出会いの季節が来ることを報せてくれていた。
「また会いたいね、そうだなぁ…夏あたりに」
楽しそうな声が隣から聞こえた、冬を越え身なりが少し軽くなった彼女は、花に似た明るさで笑う。
「夏…か…」
少し前は来ることを拒んだあの季節は、ある日を境に待ちわびるようになって、今はまた、少し憂鬱な気分になる。
「花火とかお祭りとかプールとか、色々行きたいね」
「まだ春が来たばっかりだよ」
僕がそう言うと、彼女はいじらしそうな顔で悔しがった
その後、手を繋いで海沿いの道を宛もなく歩いた、桜が綺麗な夜だった。
刺すような冷たさは過ぎて、肌を抜ける風は優しさを抱えて過ぎ去る頃、僕達はまた出会う。
「桜、綺麗だね。」
隣で彼女は静かに笑う、月を思わせるほど彼女の綺麗な彼女の瞳は、薄暗闇の世界に映えていた。
「春、好き?」
何気なく尋ねたその問いに、彼女は真剣に考えてくれた。
「んー、物語としては好き、春って物語になりやすいじゃない?出会いとか新しい人生とか。キラキラしてて、わくわくする感じが好き!
でも、本当は得意じゃないかな…出会いの前には絶対別れもあるし、別れがないままくる春はないじゃない?だから、ちょっと複雑」
それに、花粉症だしね、そう言うと、彼女は小さくくしゃみをした。
僕は彼女の感性が好きだった、花を美しいままで終わらせないその感性が。
丁寧に生きている人だと思った、自分にも、世界にも。
「そっか、僕は好きだな、春」
返すように呟いた、月のような瞳がこちらを覗いていた。
目を合わせずに続ける
「春ってさ、ずっと綺麗なんだ、桜もそうだけど、人の心も、夏とか秋とか、それだけで絵になるようなものじゃなくて、僕たちが居るから綺麗になるような、その、、」
感情のままに喋りすぎて、結論に詰まった、そんな僕を見ながら、彼女は楽しそうに呟いた。
「春は、私たちを綺麗にさせてくれるんだね、お化粧みたい」
「それ、僕には当てはまらないじゃん…」
あはは と、1人納得したような声で笑って、彼女は僕の1歩前を駆けた。
「ねぇ、桜、綺麗だよ?」
月の光と、夜桜を味方につけた彼女は、確かに晴れやかな化粧をしたような美しさを纏っていた。
それからまた、手を繋いで桜並木の海岸を歩いていた、海の匂いが懐かしかった。
「私、君と会えてよかったよ?桜の綺麗なあの夜に。」
その花はずっと枯れることは無くて、いつまでも目を奪って離さない。
「僕も、あなたが居てくれて良かった、出来れば、もう少しそばにいて欲しかったけど。」
それはそうだね と、彼女は苦笑いをしていた。
春が終わる頃、僕達はまた会えなくなる、それが悔しくて、歯がゆくて、でも、彼女の唯一性を高めているみたいで、複雑で。
「じゃあまた、会いに来てよ、桜の綺麗な、今日みたいな夜に。」
途端、風が強く吹いた、夜桜が散っていた。
僕を見上げる彼女の瞳は、波に振れる月のように静かに揺らいでいた。
その揺らめきは、一瞬を彩るように美しく咲く桜のようだった。
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