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自分の知力を分析してみました

え~今回は自分の能力を自分で判断するという、ほとんど無意味な作業を試みます。私は戦闘民族ではないので握力や脚力のことではありません。握力も脚力も全然ないし、戦国時代なら鍋もって一番後ろを歩く人どまりです。ここで試みるのは知力です。しかも自作自演(アホ丸出しですね)。ま~学力検査みたいになってますし。も~おっちゃんなんで知能検査も受験もないんですけどね。世の中に役に立つかどうかは運なんでとりあえず無視します。

評価は10段階

2が中学生レベル(自分の子どもにその科目を教えられるくらい)。
4がその科目で大学受験を目指して勉強した高校生レベル(地方の国立大学くらいなら合格できるくらいが目安)。5-6が大学でその科目を専攻して卒業できるレベル。6-7が大学院生レベル。8がそのまま生計をたてられるレベル(いわゆるプロですね)。9が大学教授になれるくらいで、10は伝説を残したヒトですね。野球のイチローさん、将棋の羽生先生とかですね。いや、彼らは10じゃ足りないですね・・15くらい。いや、わからん。

昨今の大学生の学力低下事情を考えると4-6くらいの評価は恣意的な部分がかなりあります。また個人的に上位の大学生しか知らないから現実を把握しておりません。プラトン的な感覚で記事を書いてます。
後述しますが、2が重要なラインだと思ってます。自分の人生を振り返ってみたらわかると思いますが中学生以降まったく触れてない分野ってありますよね。高校生になると選択科目になっちゃうやつです。例えば文系を選んだ人にとっての微分、積分とか。もう名前を知ってるだけでイキれちゃうレベルですよね。僕の場合、地球やら惑星の仕組みなんてのは、大学の学部は物理学専攻にも関わらず、ほとんど触れてないので事実上中学校卒業のレベルしかないです。えって思われるかもしれませんが、まぁそんなもんです。僕がずば抜けてナマケモノだったわけでもなく、だいたいそんなもんです。あれっ、違う??

私の通信簿

思いついた分野とそれぞれの自己採点を並べてみました。

数学   5
物理学  6
化学      3
生物学  8
日本史       4
世界史    3
英語          5-6
文学     5
地理学    2-3
哲学     5-6
政治学    3
経済学       4
法学     2
美術     4
音楽     1

統計学         6
プログラム  5
農学             3
地球惑星     2
工学            3
医学            4
薬学            3
デザイン学  2
経営学         2
社会学        5
教育学        1 
宗教学       4
言語学       4-5
人類学・考古学   5
心理学   5

こんな感じです。数値はいうて主観的かつ相対的なんでほとんど無意味です。少し甘めにつけました。厳しくするとほとんど2-3になってしまう。とはいえ20代はずっと勉強してたんで普通の人よりは高いスコアになるはず。もちろん4と評価したものを細分化していくと1-6くらいまで幅広く分布してます。この辺がこういう数値化の無意味さでもあります。しかもこの分類だと知力というよりはただの学力検査ですからね。論理的能力とか問題解決能力とかで割り振ったほうが生産性はあるのかもしれませんが、これを叩き台にした話をこの後いたします。

大学四年生のときに指導教官の先生から言われた言葉を思い出しました。
「何かを極めようとしているときは他のことに手を出してはいけません。その道を進んで高みにのぼれた時には、自ずと他の分野のこともわかっていくものです。」
こんな感じで言われたから、それなりに頑張ったんですけど、今なんか脱線してます・・ワタシ。。

10段階の設定基準

普通に平均という概念でこの数値を考えたら、中学校卒業くらいが4-5になるんじゃないかと思います。中学生の子どもに「ねぇ~お母さん、これわかんないから教えてよ~」って言われたら大体ひや汗ものですよね。。
でも、これを5とせず2としたのには理由があります。ひとつ目は15歳のレベルを真ん中に置くことが心情的に難しいから。ふたつ目は投資する時間で分割したらこんなもんだろうとも思っているからです。
どの段階まで到達したらどれくらのレベルになるかなんて分からないですよね。自分の最高到達地点はわかるけど、それに点数をつけるなんてね~。ジャンプだったらいきなりべジータとか、四皇がでてきますしねー。
一時期twitterで話題になった、一ヶ月あればたいていのことはプロレベルに到達できる!って書いたコンサル?の人が、
「じゃ、お前一ヶ月で博士号とってみろや!」ってイキられたやつも同じ問題を抱えていたと思います。
個人的な見解ですが、自分が弱いときはイキってもいいと思いますが(背伸びする)が、自分が強い側になったときは優しく接するのがオトナですよ。。この人はプロのレベルは4/10くらいの感覚でいたんじゃないかと思います。優しく見守ってあげましょう・・

閑話休題
どうして2のラインが大事だと思っているかというと、とりあえず2-3くらいのレベルにあれば、残りは自分で何とかできるからです。人生100年といわれているのに15歳で成長が終わってしまうのは残念ですよね。
2くらいに到達してないと、その存在が視界から消えこの世の中に存在していないことになってしまう傾向があると感じてます(現実歪曲フィールドの悪しき例ですね)。また、3くらいまで到達してないと、せっかく興味がわいて勉強しようとしても全然わからないからです。この辺に教育が義務となった理由があるんじゃないかと考えております(もちろん従順な国民を生産するという悪意もありますが)。学生時分に家庭教師や塾講師などをしていたころを思い出すと「先生!ワタシこの科目好きじゃないけど、この先の人生で触れたり、教わったりする機会はもうないと思うから、しばらく勉強してみます」なんて言う生徒さんは、だいたい大丈夫です。

理解には四段階あって(これ好きなんでよく使うんですけど)、
(1) Known Knowns (知っていることを意識的に知っている)
(2) Known Unknowns (知らないことを知っている。ゼロの把握です)
(3) Unknown Knowns (知っているつもり。なんとな~く)
(4) Unknown Unknowns (存在することすら知らない。)

どの段階も大事なのですが、知性が発揮されるのは(2)の段階で、一番モヤモヤするのが(1)と(3)の区別だと思います。多分ですね~だいたいのことはそんなに真剣に考えるに値しないからと(3)の状態においてるんですよね我々は。で何故か(3)の状態が多すぎる(期間が長すぎる)と、それを受け入れられないのか謎の引力が働いて脳内で(1)に格上げされちゃうんですね。
いや、もうカエサルの言った通りです。
人は現実のすべてが見えるわけではなく、多くの人は見たいと思う現実しか見ない
ということで、何にも成長してないのに時間がたつと、分かったつもりになってしまう変なクセを人間は持っているように思います。もうひとつ、常に自分が普通だと思ってしまうという悪いクセもあります。
こんな風に偉そうに言ってますけど、私も人間だし、全く同じことを今しているわけです。どういうことかというと、自分にとって普通だと思っている能力を4-5にしようと10段階を割り振った結果、中学生レベルを2にしてるとも読み取れるわけです。

そもそもアンフェアなんですよね、この議論。私は工場でお弁当の包装したりアマゾンの倉庫やらでお金のための労働をしたことないですから。ほとんど現代における高等遊民みたいな生活してるんで、そんなやつに勉強しろ!とか言われるのはチャンチャらおかしいですよね。江戸時代だったら、お前黙って、畑耕しとけや!って怒られてます。自由を与えてくれた両親に感謝してます。

Take Home Messages

最後に、格差社会といわれて久しい昨今ですが、格差はどこにあるかというと給料の多寡ではないんですよね。受けた教育の格差がその後の格差を生んでるんですよ。逆説的ですけどね。
だから、この記事を読んでくれた若者に送りたいメッセージは、目の前にいる大人や学校の先生は、まぁ~つまらない俗人に見えて将来を悲観してしまうかもしれないけど、だからといって自分の人生に絶望するのはまた違うと思うので、せめて社会に守られている間は自由に、のびのびと育って欲しい、ということになります。

参考書籍

(1) 西林 克彦『わかったつもり: 読解力がつかない本当の原因』(2005年)
(2) 立花隆『東大生はバカになったか』(2004年)
(3) 浅羽通明『大学で何を学ぶか』(1999年)
(4) 石井 洋二郎 『差異と欲望-『ディスタンクシオン』を読む』(1993年)
(5) 上野千鶴子『サヨナラ、学校化社会』(2002年)
(6) 内田樹『下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち』(2009年)
(7) Michael J. Sandel. The Tyranny of Merit (2020)
(8) 尾田栄一郎 (著)『ワンピース』(1997年ー連載中)


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