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三十三番土偶札所巡り -諏訪大社と縄文文化-

「三十三番土偶札所巡り」は、山梨・長野の土偶を愛で御朱印を頂く、土偶版の札所巡りです。

今回は、長野県の諏訪湖周辺の2つの博物館、下諏訪町「星ヶ塔ミュージアム矢の根や」岡谷市立「岡谷美術考古館」を訪ねました。


諏訪大社と共に歩んできた街

諏訪湖の北に位置する下諏訪町には、全国に1万以上ある諏訪神社の総本社となる諏訪大社があります。その歴史は古く古事記にもその起源が記されています。

諏訪大社は諏訪湖周辺の四社を総称したもので、「上社」と「下社」が各2社の計4社あり、毎年多くの参拝者が訪れます。
下諏訪町にはそのうちの「下社春宮」と「下社秋宮」があり、まさに諏訪大社と共に歩んできた町です。

7年に一度行われる「御柱祭り」は、諏訪湖周辺の6市町村の氏子が参加する祭りとして知られ、特にモミの巨木を急坂から豪快に落とす下社の「木落とし」が有名です。今年はちょうど7年に一度の御柱祭が行われました。


博物館へ行く前に、JR下諏訪駅から歩いて10分ほどの「下社秋宮」へ参拝に訪れました。

荘厳な雰囲気に背筋が伸びます。

1835年建立の神楽殿は、その堅固で風格のある佇まいの正面に、長さ13m、重量約1トンもの注連縄が飾られています。
神楽殿の前に鎮座する1.7mもの獅子と狛犬は、青銅製としては日本一の大きさと言われています。雨に濡れた青銅は艶やかさを一層増し、神楽殿と共により神聖な雰囲気を醸し出していました。

獅子と狛犬は、
地元の彫刻家清水多嘉示の1960年の作品。

奥に進むと、1,781年に建立された幣拝殿があります。現在は神楽殿と共に国の重要文化財に指定されています。

降りしきる雨の中、多くの人が参拝に訪れていました。


宿場町の雰囲気が残る街並み

この下諏訪は諏訪神社の門前町としてだけでなく、江戸時代には中山道と甲州街道の交わる宿場町としても栄えました。
また中山道唯一の温泉が湧く町で、「下諏訪温泉」としても親しまれています。

あまり観光化されていない街並みが逆に新鮮です。

現在でも町内各所から豊富に湧き出る温泉は、一般家庭にも引かれています。

あちらこちらの民家の玄関先で見られる光景です。
わんちゃんが見守る〝御神湯〟

江戸時代の様子を伝える「宿場街道資料館」は、囲炉裏や階段箪笥などの当時の様子がそのままに残されています。

反対側には大きななまこ壁の蔵があります。


街中をふらふらと楽しんだ後は、いよいよ縄文の世界へ向かいます。

星ヶ塔ミュージアム矢の根や

「黒曜石の博物館」とでも言えるほどに、数々の黒曜石が収蔵されている博物館です。
町内にある国史跡「星ヶ塔黒曜石原産地遺跡」は、縄文時代の一大黒曜石の産出場所でした。

庇の〝逆さ♡〟は黒曜石?
どーでもいいことですが、気になります。


この地域で採れる黒曜石は質が良く、縄文時代にはその存在は広く知れ渡っていたようです。
採掘した黒曜石のみならず、その加工品を用いた交易も全国に渡っていました。

館内は数々の黒曜石と矢じりなどの加工品をはじめ、採掘場のジオラマや剥ぎ取りなど、黒曜石の情報がいっぱい詰まっています。

原石から加工品まで、
多くの黒曜石が見られます。

この岩版は縄文時代の晩期に青森県から運ばれたと思われるもので、黒曜石と交換した品であると考えられています。
岩版は土偶と同じく〝祈りの道具〟であったと思われるものです。

遮光器土偶が生まれた「亀ヶ岡文化」の
特徴がみられます。

土偶札所巡り33番
「殿村遺跡 人体文付壺」

上部にある左右から伸びる渦巻と、それに挟まれるようにヘビが上を向いて貼りついていたような文様が見えますが、はっきりとは確認できない得体の知れない土器です。
口縁が一部分伸びているのは何か?
珍しく情報が何もなく、果たしてどのように見たらよいか考えます。

縄文時代中期
殿村遺跡からは、
室町時代の遺物も多く見つかっています。

上から見ると、渦巻が目のように見え、大きな口を開けている動物のようにも見えます。
動物の口が把手になっているのでしょうか?

見る方向によって印象は変わりますね。

何だろう…とあれこれ考えているうちに、いつものように大幅に予定の時刻を過ぎていたことに気づき博物館を後にしました。
次の岡谷美術考古館へと急ぎます。

下諏訪駅からは僅か5分で岡谷駅へ到着。
駅には御柱祭の御柱が展示され、ここも諏訪大社の町であることがわかります。

岡谷美術考古館

JR岡谷駅から〝童画館通り〟を歩いて5,6分ほどで到着です。
少し先には岡谷市出身の童画作家「武井武雄」の作品を展示した「イルフ童画館」があり、〝童画館通り〟と名付けられたそうです。

外灯や看板は童画のモチーフで装飾されています。
ショーウインドウに縄文土器が!

岡谷美術考古館は、岡谷市ゆかりの画家の作品と考古資料との両方が楽しめる空間となっています。

考古資料の中で多数を占めるは縄文土器ですが、数ある土器の中でも存在感を示してるのは、この「顔面把手付深鉢形土器」です。
土器に付いたその大きな顔面は、同様の多くの「顔面把手付土器」の顔が内側に向いているに対して、この土器は外側を向いています。
通例とは違いあえて外側に向かせたことには、どんな意味があったのでしょうか。

縄文時代中期/海戸遺跡出土


土偶札所巡り16番
「壺を持つ妊婦土偶」

縄文時代中期のこの土偶は、実物は5つのパーツに分かれたままで展示されています。
埋まりかけた一軒の竪穴住居から、このようにバラバラの状態で発見されたそうです。

左:実物、右:レプリカ
高さ22㎝、岡谷市目切遺跡

膨らんだお腹、〝出尻〟と呼ばれる張り出したお尻は、ここからそう遠くない場所で生まれた「縄文のビーナス」と同じタイプです。
右手はお腹に、左手は壺を持って、少し反り返って上を見ているようです。大きすぎず、小さすぎずの壺は何を入れるものだったのか、土偶のポーズは何を表しているのか、気になるポイントが多くある土偶です。

土偶札所巡り17番「超小型土偶」

名前のとおりに、僅か4㎝の小さな土偶です。
縄文中期の高台の集落にある墓と思われる場所から、ほぼ完全な形で出土しました。
小さいながらもきちんと自立するように作られていることから、その役割は有力者の副葬品、または儀式に使われたと考えられるようです。

同じポーズの土偶がもう一体あります。


御朱印 いただきました

超小型土偶の方が大きい!


黒曜石のキャラクター?


日本初のブランドであったと言われる〝星ヶ塔黒曜石〟。
太古の人々もその石としての美しさ、道具としての機能美に魅力を感じ、手に入れるために貴重な岩版や土器と交換したと言います。
人間は、ずっと昔から変わっていないのですね。

諏訪大社には神殿がなく、秋宮は一位の木を御神木としています。日本人が古くから伝わる自然信仰がそのままに伝わるこの地は、縄文時代から特別な場所であったようです。

これからも「三十三番土偶札所巡り」は、まだまだ続きます。

最後まで読んでいただき有難うございました☆

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