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「縄文人はおしゃれ好き?」縄文時代の装身具に魅了される

今から1万年以上前から始まった縄文時代。その果てしなく遠い昔の人たち、その生活やモノには謎がいっぱい。その縄文時代の謎を紐解くことで、同じDNAを持つ私たちは、何か生きるヒントを得ることができるかもしれません。そんな思いを携えて「縄文時代のヒミツ」に迫ります!

今日の「縄文時代のヒミツ」は、装身具=アクセサリー。
美しく、素敵なものを身に着けたい!古今東西、何人も美しい宝石や金、銀、それらで作られたネックレスやイヤリングなどの装身具で美しく装ってきました。
古代エジプトのクレオパトラは、金のほかに紅玉髄(カーネリアン)やガーネット、ラピスラズリの首飾りやブレスレットを好んだと言われています。
では、私達の祖先の縄文時代の人々は、どうだったのでしょうか。


◆◇ 土偶が語る「おしゃれ」

縄文時代の「おしゃれ」はどうやって知ることができるのか?縄文人は文字を持たなかったので当然文献は無く、また絵画も残されていません。
手がかりになるのは、遺跡から発掘された土偶や装身具です。
例えばこの「ミミズク土偶」からは、当時の人々の流行のファッションや髪型を想像できます。
❈土偶については以前のこちらの記事をご覧ください。「土偶は何のために作られた?」

耳づく土偶


大きな耳には丸い大きな耳飾り、首には丸い石の珠がついているネックレス、頭部の突起は高く結った髪型、櫛の様なものもさしているようです。

このみみずく土偶が発見された周辺では、土で作られた丸い耳飾りも数多く発見されています。
このミミズク土偶は、1万年以上続いた縄文時代の終盤の今から4.400年前ぐらいに作られたと思われ、これと似た土偶は、関東地方でいくつか発見されています。

なぜ「ミミズク土偶」?
デフォルメされた顔の表現が鳥のみみずくに似ていたことから「みみずく土偶」と呼ばれるようになったそうです。 
埼玉県 真福寺貝塚出土 東京国立博物館所蔵


◆◇ 多彩なデザイン「滑車形耳飾り」

遺跡から発掘された装身具の中でひときわ目をひくのが、このデザイン豊富な土で作られた「滑車形耳飾り」。「みみずく土偶」の様に耳にはめ込むタイプです。今でいうピアスですね。
小さなものから直径が10センチくらいある大きなものまで様々。直径10センチのもの‥実際に耳にはめ込んだのでしょうか。

土製のピアスは、透かし彫りの様な細工や、自然の造形を思わせる立体的なデザインなどの趣向が凝らされていて、小さな土の塊にとても繊細な技巧が施されていることに驚きます。
素敵でかわいいものがいっぱい。見ているだけで楽しい!

山梨考古博物館 ピアス

山梨県立考古博物館所蔵

こちらの耳飾りは「けつ状耳飾り」。耳に挟むタイプの今のイヤリングでしょうか。
シンプルなデザインが多いようです。

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横浜市歴史博物館所蔵


◆◇ 種類豊富なペンダント

石や土でできたペンダントトップには、紐を通す穴が開いています。

横浜市 ペンダント

横浜市立歴史博物館所蔵

ヒスイのペンダントトップは色が豊富。
金属の工具がない時代に、硬いヒスイに穴をあけるのはとても大変な作業だったことでしょう。

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山梨県立考古博物館所蔵

横浜市歴史博物館 ひすいペンダント

横浜市立歴史博物館所蔵

ヒスイは新潟県糸魚川上流が産地。その新潟県から交易によって、なんと北海道から南西諸島まで広く日本各地に行き渡っていきました。この時代にはまだウマもいないので、ひたすら歩いての長い旅をしたと思われます。
因みにウマは、5世紀前半に朝鮮半島から持ち込まれ各地で飼育されたそうです。


明治大学 珠アクセサリー

明治大学博物館所蔵

右の大きな石を数珠つなぎにした首飾りは、祭礼用と思われます。
勾玉は、石やヒスイなど種類が多く、魔除けや厄除けと言った意味で日常的に身につけられた様です。そのデザインには、「胎児の姿」や「獣の牙」「太陽と月」等々、諸説あります。
左上の「耳栓」は何のため?に使ったのでしょうか。


横浜市 ブレス

横浜市立歴史博物館所蔵

貝製の大きなブレスレット。
祭礼用でしょうか。

アクセサリーには、「普段使い」と「ハレの日用」があったようです。
「普段」は土製や貝などを使った小ぶりのもの、「ハレの日」=祭礼の日などには、貴重な石を使ったものや大きなものを身に着け、祈りや祭りを楽しんだようです。


◆◇ 縄文人も輝く宝石が好き

土の耳飾りの他、ネックレスなどは琥珀、ヒスイ、滑石、黒曜石を加工したものが多くみられます。

なかでもキラキラ美しく輝く”天然のガラス”と言われる「黒曜石」は縄文人の憧れの的でした。
主たる産地は新潟から中部地方で、長野県から山梨県にまたがる八ヶ岳北鹿からは多くの発掘跡が見つかっています。

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韮崎市考古館所蔵

長野県の黒曜石は良質で美しく、日本最古のブランドとして知られています。そしてブランドとしての人気は、産地である長野県から「黒曜石の道」を通って日本各地に浸透していきました。

美しい黒曜石を持って、道なき道を行く。夜には星を眺めながら、時に厳しい自然と闘いながら。想像すると、縄文人が愛しく感じられます。

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縄文人の装身具を見ていると、今の私たちとあまり変わらない「おしゃれ心」が見えてきます。そして「美しいと感じる心」は、人間にとって不変なものであることを改めて実感します。地球の財産である「美しいもの」がこの先の私達の子孫たちの時代まで残ることを願うばかりです。


◆◇最後までお読みいただき、有難うございました。
「縄文時代のヒミツ」を知ればしるほど、縄文人が身近に感じられるような気がします。まだまだ、何故?がいっぱい!これからも縄文の謎解きは続きます。

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