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三十三番土偶札所巡り -春日居郷土館- 鐘が鳴る郷土館の土偶たち

「三十三番土偶札所巡り」は、山梨・長野の土偶を愛で御朱印を頂く、土偶版の札所巡りです。
前回の記事、「-八ヶ岳美術館- 半円形ドームに抱かれる土偶たち」に続きます。


今回は山梨県笛吹市春日居かすがい郷土館へ。
三番札所「みさかっぱ」
四番札所「やっほー」と、楽し気なニックネームの土偶巡りは、ようやく雨空から解放された今日の気分にもピッタリです。

鐘が鳴る郷土館で

2つの忘れたくないこと

笛吹市の図書館や児童館が集まる一角にある郷土館は、円形アーチを中心に左右対称に広がり、太い柱と本体との間には水が張られ鯉が泳ぐという、とても瀟洒な建物です。

コンクリート造の円形アーチと
建物に沿った等間隔の太い柱が
重厚感と趣のある表情を作っているようです。

この郷土館には「小川正子記念館」が併設されています。
「小川正子」は郷土出身の医者で、ハンセン病患者救済活動に邁進するなか病に倒れ、僅か41歳でその生涯を閉じました。
療養中にまとめた手記「小島の春」がベストセラーになり、後に映画化されたことで知られています。

記念館は、ハンセン病がまだ〝不治の病〟とされていた戦前に、強制隔離された方々の療養所の生活の様子や思いが綴られた詩などと共に、献身的に治療にあたった正子の様子が紹介されていてます。
彼らへの偏見や差別の長い歴史と現実を、日頃は忘れがちな私達が改めて考える機会となります。

小川正子が働いていた岡山県のハンセン病の療養施設
長島愛生園で患者に時を知らせた「恵の鐘」(復元)。
正子の月命日に鳴らされています。

私は数年前に観た、映画「あん」を思いだしました。ハンセン病に罹患し、その後もずっと世間から隔たれた世界で過ごしてきた女性を、樹木希林さんが演じています。
施設での暮らしの様子やそこで生まれる様々な人間模様や感情が、静かに心に響く作品です。


もう一つの〝忘れたくないこと〟は、毎年この時期に開催されている「わが町の八月十五日展」にあります。
今年は、『学校日誌で振り返る八月十五日』として、市内に保存されている学校日誌などから、終戦の日の学校の様子が紹介されています。

戦没者の遺影・遺品も展示されています。
多くの若者の大切な命が失われたことを
改めて心に刻みます。

謂れのない偏見と差別を受け、その生涯の殆どを療養所で過ごすことになった人たちがいたこと、そして今も尚、その生活が続いていること。
戦争によって奪われた尊い命や多くの悲しみや苦しみ。
曲がりなりにも平和で平穏に暮らすことができる私達が、決して忘れてはいけないことであると改めて感じます。


さて、時代をずーっと遡って、縄文時代の土偶に会いに行きましょう。
通常は展示室にいる土偶は、この期間はロビーに展示されています。

土偶札所巡り 三番
「みさかっぱ」

縄文時代中期の甲府盆地周辺を代表するカッパ形土偶です。
カッパ形とは平たい頭の形のことです。
このカッパ形の頭と、妊婦さんを思わせるような大きい腹部、ドーンと安定感の良い二つ脚を持つところは、同じ時期、同じ中部高地の「縄文のビーナス」と似ているようです。
優しくおおらかで、頼もしいお母さん土偶のように見えますね。

つま先の一部と片耳が少し欠けてしまっていますが、
ほぼ完全な形で出土されました。
当時の地元・御坂東小学校全児童による投票で
「みさかっぱ」と命名。


こちらは長野県茅野市の国宝「縄文のビーナス」。
精巧に作られてはいますが、
カッパ形の頭と膨らんだお腹、太い脚は、
基本的にはみさかっぱと同じ特徴を持っています。


土偶札所巡り 四番
「やっほー」

バンザイ~しているように見える「バンザイポーズ土偶」です。
このバンザイポーズは、縄文時代中期後半に東京から中部高地地方で良く見られる土偶です。
お腹の正中線が首の下から臍を突き抜けるように施され、お尻はちょっと突き出たハート形をしています。
大きな欠伸をしながら体操をしているようにも見えますね。

こちらも小学校全児童による投票で
「ヤッホー」と命名。
「欠伸で」はなく、
一生懸命に「ヤッホー」と叫んでいるのですね。
みさかっぱと共に、桂野遺跡出土
上から見ると、突き出たお尻が♡形です。
実はキュートなハート形土偶です。


縄文時代からこの土地に眠っていた土偶たちは、戦争や何もかもをじっと見続けきたと思うと、とても不思議な感じがします。
かわいい土偶たちに、これからは素敵な情景だけを見てもらいたいですね。


トップ画像のブロンズ像は、
背筋を伸ばして真っすぐ前を見据える少女と、左には二つの桃。この地域の特産品の桃です。
〝凛とした少女の姿〟は、〝悲惨な過去を忘れない〟と言っているように、〝二つの桃〟は、この地域が潤いますように、と願いが込められているように感じました。

頂いた御朱印

肝っ玉母さん!と呼ばれていた?
元気いっぱいのやっほー
思わず私もやっほー!


最後まで読んでいただき有難うございました☆









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