![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/91786318/rectangle_large_type_2_447716be38b5fd32419f9dd48b3debeb.jpeg?width=800)
縄文の女神に会いに行く!山形県立博物館
「会いにいきたい」と思い立ち、
急遽一週間後に会いに行った「国宝 縄文の女神」
![](https://assets.st-note.com/img/1704283971971-vTSrnRJXTs.png?width=800)
山形県立博物館へ
国宝「縄文の女神」がいるのは山形県。
東北の冬は早い、雪の降る前に、っと思ったら
今行くしかない!と早速向いました。
11月の半ば過ぎのこの日、
車窓越しの山々はもう雪をまとっていました。
![](https://assets.st-note.com/img/1670294014512-4Pl0rN5FMD.png?width=800)
山形駅からほど近い「山形県立博物館」。
広い館内を順路通りに進むと、
珍しい鉱物や化石など興味深い展示がいっぱい!
目指すは、考古展示室にある国宝ブースです。
日本最大の土偶
高さ45㎝、横幅16,8㎝、重さ3.155㎏は、
現存する中で最大の土偶です。
凛とした佇まい、遠目で見ても、
際立つ均整のとれた美しい立ち姿!
現在は、頭から上半身、角柱状の脚が絶妙な
バランスで繋がっていますが、
発見時は5分割の状態でした。
余分なものを一切そぎ落とした全身像
製作者の高い美意識が見えてくる、
計算されて作られた研ぎ澄まされた全身像です。
![](https://assets.st-note.com/img/1669188025330-h3VthB8C0E.jpg?width=800)
エッジが効いた上半身は、
胸の上部はw型、それを縁取るよな2本線と
首にはネックレスような3本線。
くびれたウエストから続く下腹部は、
中心に置かれた5角形の内側に縄文。
その両脇から腰回りにかけては、
アンシンメトリーに幾何学文様の表現。
![](https://assets.st-note.com/img/1669183244989-ULEeISXkO0.jpg?width=800)
安定感のある角柱状の脚は下へいくほど広がり、
最後には2本が繋がっています。
脚の前後には太い線文様が入れられています。
艶やかな地肌とカッパ形の頭
横から見るとより際立つ出尻と言われる臀部は、
背中から丁寧に磨きあげられています。
![](https://assets.st-note.com/img/1669174100466-OX8Uq8nLXE.jpg?width=800)
このつやつやの光沢は、
土に石英(水晶を代表とする鉱物)が
含まれていることにもあります。
![](https://assets.st-note.com/img/1670375238966-A3FV0qdjmV.png?width=800)
カッパ形と言われる頭は大きく凹み、
全部で6個の貫通した穴があります。
顔の両脇にある穴は耳飾りのようですが、
他の穴は何のために開けられたのでしょうか。
これも必見! 国宝附 土偶残欠
「縄文の女神」と共に出土した土偶の破片は、
非常に貴重な「本体に附属するもの」として
国宝附に指定されています。
![](https://assets.st-note.com/img/1669183840398-COsg8PyZ1t.png?width=800)
48点の土偶の欠片はバラバラで、
どれも繋ぎ合わせることができませんでした。
5つに分かれた状態の「縄文の女神」が、
欠けることなく完成形を見ることができたのは、
やはり特別なことであるようです。
![](https://assets.st-note.com/img/1669184041268-XWPYIe0pNT.jpg?width=800)
縄文の女神を思わせるような欠片もあれば、
全く違うものもあります。
これらは数百年の間に
作られたものと考えられています。
縄文の女神が生まれた場所へ
次に向かったのは、
山形県立博物館から車を走らせること約1時間。
「縄文の女神」が誕生した「西ノ前遺跡」です。
高速道路脇に位置するこの遺跡は、
道路工事のための調査により、
竪穴住居跡や土器等と共に発見されました。
![](https://assets.st-note.com/img/1669184597499-ZAVtBq9vpA.png?width=800)
今は遺跡公園となって
「縄文の女神」だけが佇んでいます。
![](https://assets.st-note.com/img/1669184937067-htpJoRqMjt.png?width=800)
なだらかな丘の上からは遠くまでが見渡せます。
縄文人もこうやって
空を見上げていたのでしょうか。
![](https://assets.st-note.com/img/1669184953422-OZ0ZQM96aL.png?width=800)
空模様が怪しくなって、
数分後には豪雨、そしてヒョウが降りました。
道路脇の温度計は5℃をさしていました。
この厳しい気候の地で稀にみる美しい土偶。
土偶残欠が表しているように、
幾度となくチャレンジした成果であったようです。
このような造形を生み出すことができたのは、
なぜでしょうか。
「縄文の女神」に託されたものは、
なんであったのでしょうか。
*参考図書
縄文土偶ガイドブック 三上徹也 新泉社
縄文時代史 勅使川原彰 新泉社
女神たちの饗宴 山形県立博物館
最後までお読みいただき有難うございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?