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トラック1周の刑
競技場には、ハードルが倒れる耳障りな音が響く。
レースの2時間前。トラックでは男子110mハードルが行われていた。
もうこんな時間か。
空になった青と白が配色された缶を置く。とても翼を授かった気分にはなれない。
直線を10秒と少し走るだけで競技が終わるなんて羨ましい。こちとらトラック1周だぞ。
憂鬱である。何が悲しくて、レース後に胃の中を全て戻すような苦しい種目をやっているのか。刑の執行を待つような心持ちで、ウォーミングアップへ向かう。
ジョギングで競技場を1周。
うん、重い。こんな体の状態で400mはきっと無理だ。いっそのこと棄権してやろうか。
ストレッチ、マッサージ。
ほら、ハムストリングスも臀筋たちも、やりたくないって言ってるぜ。悲鳴あげながら伸びてるよ。思い切って棄権してやろうかな。
軽く100mくらい走ってみる。
ああ、スピードが出ません。これは厳しいかも。
「どう?体の状態。」コーチが声をかけてくる。
「カコイチっすね。」最高の笑顔で。
「いい感じじゃね?」同期が声をかけてくる。
「最悪だわボケ」最高の笑顔で。
気づいたら1時間が経っている。楽しいことをしてる時の方が時間経過は早いと聞くので、もうそういうことなのかもしれない。「アミノバイタル」などという訳のわからない粉を体内に流し込み、しばし休憩。
トラックでは男子100mが行われている。
誰かが自己ベストを出したようで、ゴール付近が賑やかだ。他人が自己ベストを出す様は、自分には関係のないことなのになぜだか心が勇気づけられる。「自分もああなりたい」という気持ちが湧き上がるんだろうか。自分の気持ちの話だけれども、よくわからない。
あと30分。200mほどダッシュしてみる。
困ったな。なんだかいける気がしてきたぞ。体が温まってきたのか、カフェインが効いてきたのか。
もしかしたら、今日こそは、楽しく400mを走り切れてしまうのではないか?
俺が間違っていた。トラック1周を楽しく走り切れる人間がこの世に存在するわけがない。これから、俺は死地へ向かうのだ。
スターティングブロックを前に、再び湧いてきた憂鬱な思いをグッと飲み込む。どうせレース後に吐くのだから。
On your mark.
まずい。
Set.
勘弁してくれ。
ピストルの音。
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