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脳の不思議と兄弟の不思議

昨日、数年ぶりに兄に会うため、とある病院の救命救急センターというところに行きました。

もうかなり昔、ずっと独身の兄は、いつも会うたびに仕事が違うほど、かなりの数の転職を繰り返しながら、お酒を飲み過ぎたりしていて。

ある日道端で強く倒れて頭を打ち救急搬送。一刻も予断を許さない中、運良く開頭手術をした後、ほぼ脳死か?という状態(まぶたもピクリとも動かない状況)で、昨日行ったような、救命センターの部屋に戻りました。

今日の夜が山場です。

お医者さんに言われ、当時はまだ一緒に暮らしていた両親はがっくりと肩を落としながら、私の夫と姉に付き添われて一旦帰宅しました。私が1人病院に残って夜を明かしました。

あれから20年くらい?

それからもまた開頭手術をしたり、何度か、命に関わる!と連絡を受けながらも、あれよあれよと回復しては、毎回この世に戻ってきています。

今はもう、歩くこともままならなくて、両親も他界しているため、彼は今、福祉のチカラを借りながら、特養という何事も無ければ人生の終わりまで診てくださる施設で暮らしています。

そんな兄と、私はここ数年会っていませんでした。

特養という施設には、たくさんの高齢の方たちが、ズラーッと車椅子で並んでおられて、対照的な若くてキビキビした介護士さん達が、明るい笑顔で話しかけてくださっていました。

けれど私は、行くとなんだかズドーンと気持ちも落ち、会うたびにガリガリに痩せて、不思議なことを言い出す兄に、会いにいくことが苦痛になっていったのです。

そんな中、自分の家族の孫のフォローや、コロナの時代がやってきたこともあり、会いにいかない自分のことも責めることさえ無くなりました。

そして一昨日も、聞いたこともない難しい名前の腸閉塞になって、腸の血流が止まっている。このままでは危ないかも!となり、病院を夜遅くまで探してくださって、結局、検査のための手術として開腹したのが真夜中。

命に関わるかも!と、付き添ってくれていた姉からの連絡でも、私も姉ももう慣れていて、緊急の状況にありつつ、 お互いどこかで、

彼の生命力、というのをぼんやり思っていたのでした。

兄が頭の手術を繰り返した頃、看護師の友人が教えてくれたのは、脳というのは、何回も手術を続けてしまうと、最初は回復したように見えても、少しずつ、どこかが弱ったりおかしくなったりして、やがて痴呆のような症状になっていく人も多いよ、と。

こんな書き方、医療に携わる方や詳しい方からすれば、かなりいいかげんなざっくりしたことで、正しさはないのかもしれないですが、個人的な心情としては、

なるほどなぁ。脳って、不思議な生き物なんだなあと思っていました。

当時の、術後のフォローは家族全員なかなかに大変だった中、普段温和な兄が、タバコ買ってこい!と叫んだり、突然キレたりして疲れはてたのも、脳の一部の問題だったのでは?と後で聞かされました。

今でこそ、メンタルなサポートとしても、脳科学など、素人なりにも情報を集められる時代ですが、当時は今ほどネットも見てないし、AI情報もなかったわけで。

たった1人の看護師の友人の一言と、目の前にある状況がやんわり自然に繋がっていた感じでした。

最近の私は、心理学やコーチング、心理術としてのNLPなどをを学びながら、脳について話題になる機会もある日々を生きています。

私たちは潜在意識が司っていることで動いているので、アファメーションなど、未來を描いてはイメージングをして、

ポジティブとネガティブの違いがわからない脳をだます

とか、

左脳が命の動きや思考を司るとして、目には見えない幸福感や愛の概念は右脳によるもの

とか。

どちらも生きるためには必要だから、全脳のあり方で生きようとか。


まあ、漠然としてますが、いろんな見方で人間を探求したりするわけです。


長くなってしまいましたが。

そんな中で、数年ぶりに会った兄は、

生まれた時から一度も関西を離れたことないのに、

「僕が今、確実に言えることは、幸せだよってことなんだ」

と。

完全な「標準語のアクセント」で。ガリガリの身体なのに、まるで推しファンがいっぱいいるイケメン芸能人みたいな話しぶりで言うのです。
驚きました。

「痛みなんて、ぼくは根性で乗り切れるんだから大丈夫さ」とか。
(とってつけたような標準語アクセントで!)

今は点滴やけど、腸が動けば流動食も始まるみたいやからなと、100%関西弁の私の呼びかけに

「そーだね、おかゆは卵がゆだよね、おかゆに入れた卵の硬さがさぁ...」と、ずーっと途切れず話しながら、だんだんとかみ合わなくなってきます。

住んでる場所の説明も、

それ、どこやねん、誰のいる場所やねん?って
場所のことだったりして。


不思議な会話が続く時間だったけど、

数年前に会った彼よりは。

かなり幸せそうで良かった。


生きてるだけで丸儲け。

元気でいると、わかっちゃいるけど、そう単純にはいきません。

だけど。
時々は思ってもいい。

親でもなく、我が子でもなく、配偶者でもなく。

いつも、不思議な関係と何かあるたびに思わされる、兄弟姉妹という関係性のなかに、脳の不思議もあいまって。

何故かわからないけど、ふわふわと、柔らかい気持ちになって病院を後にしたのでした。


「僕が言えるのは、今、幸せだよってことなんだ。」  

(スナフキンみたいな? とにかく標準語アクセントで!)


メモに残しておきたい言葉です。

幸せには、優劣も大小もないんだなと。
本人の脳が、カチカチでなく緩めば、こんなに堂々と、
自信もって言えるんですね。

不思議大発見の、夜のお話。

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