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「そんなもんだよ。」をお守りに。

私があれこれ気にして思い悩んでいるとき、夫はしばしば「そんなもんだよ。」と言う。突き放すわけでもなく、大抵はちょっと困ったように笑いながら。私は「そっか、そうだよね。」と思ったり「え…」と思ったりしたあと、思考が止まってしまう。そして結局悩んでいたことは忘れてしまうか、大した問題にならずに通り過ぎていく。そんなもん、らしい。

虫の目・鳥の目・魚の目という言葉がある。寄りの視点、引きの視点、流れを見る視点があって、それを上手に切り替えようという話だ。でも、私は大抵虫の目に囚われている。やたら問題を細かくカットしてこねくり回し、うんうん唸って考える。そういうときに夫に言われる「そんなもんだよ。」は、鳥や魚の目だと思う。大雑把に括りつつ、それでいて、そのままを受け入れ、肯定し、諦観する言葉だ。

例えば、私はよく落ち込む。そして落ち込むことが悪い事だと、どこかで思っている。一つ一つの原因を考え、「改善すべき」と思い、行動できない自分を責める。でも、人間は落ち込む。波があって当然だ。「そんなもんだ」と思えば、それ自体は悪くも何でもない。自然でしかない。

漫画家の山田玲司さんのYouTube動画を見た。最近「タコピーの原罪」「血の轍」というマンガ作品が話題らしい。私はまだ未読だが、イジメや毒親問題の原因を複数の視点で見ていくものだそうだ。いじめ加害者が被害者の気持ちを知って改心して終わり…などではなく、加害者にも地獄があるという話。加害者のこどもが家に帰れば両親が常に喧嘩している、すさんだ家庭環境だったり。その親もまた歪んだ環境で地獄を生きていたり。そんな連鎖の話らしい。アダルトチルドレンの話なんだろう。

私はそれを聞いて、どこまで区切って分析し、正していけばいいのだろうと少し絶望してしまった。ドラえもんの道具では解決できない、地獄で生きていくしかない現実。それをいかに受け入れるかでしかない。夢を持つ方が残酷だ。

実際、自分の人生でもそういうことはある。そんなとき、地獄を受け入れるパワーワードに「そんなもんだよ。」はなり得るんじゃないだろうか。フランス語の「C’est la vie !(セラヴィ)」のような。この言葉は、良い時にも悪い時にも使うらしい。その時々の、「これが人生さ」。

ちょっと引いた目線で、いくつか手放して、ある程度は諦めて受け入れる。また次の潮目を待ちながら、それまでちょっと忘れてみる。そういうチカラが「そんなもんだよ。」には多分ある。柔らかく、力強い、しなやかなこの言葉をお守りにしてみようと思った。





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