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生育歴を見つめること

 人が生きていくうえで、あるいは人が人を支援する際に、生育歴について目を向けることが大切な場面はあると思う。

 小さい時から自分を否定されて育つと、自信がなくなる。人から何と言われようとも、自分を否定せず、一方で人の意見にも耳を傾けることが出来る。小さい時に親や周囲の大人から愛されたという経験が、そんな大人になることにつながるのだと思う。

 しかし、生育歴にばかり注目すると、実際に解決しなくてはいけない生育歴の問題とは別の問題があるのにもかかわらず、その問題が起きている原因をその人の生育歴に帰してしまって問題をはぐらかしてしまうことがあると思う。例えば、会社の労働環境とかその人をとりまく人間関係に問題があるのにもかかわらず、その人の生育歴に問題があるとすれば、労働環境やその人を取り巻く人間関係の問題は不問にされてしまう。

 また、生育歴を問題にすることが、時として、健全とされている生育歴で育つことが出来なかった人に「あんなふうな環境で育っちゃったからあんなふうになっちゃったんだ。」と言って、その人を侮蔑するために使われることがあると思う。私は何度か、何か失敗した人や、どうにも解決が難しい困りごとに直面している人について、侮蔑的に「小さい時の親子関係がうまくいかなかったからあんなふうになっちゃったんだね」とその人への陰口を言う人に会ったことがある。本当に腹立たしいと思う。

 大切なのは、生育歴について語る時、それをだれがどのような文脈で語るかによるかであると思う。

 自らの生育歴をたどり、自分はどのような人間かについて空想や誇大妄想でない自分にとって最適な自分の物語を作っていくことが、自分自身の生きやすさへとつながることはあるだろう。

 また、対人援助の文脈でも、支援される側の生育歴を知ることで、支援される人の幸せにつながることはあると思う。

 生育歴に向き合うこと、しんどさを抱えた人に出会った時に、その人の生育歴を想像することは大切なことであると思う。しかし、同時に今自分が抱えている問題や自分が出会った人の問題を生育歴だけの問題にしないことも大切であると思う。

 この世の中には様々な生きづらさがある。自分自身について、人生の中で出会うどこかの誰かさんの生きづらさを知ってしまった時に、生育歴から目を背けないことは大切だ。しかし同時に、生育歴だけではない、人と人の関係性や、こうあるべきとか、こうでなくてはいけないという社会の規範、人が人を搾取することで成り立つ社会の矛盾、それらを見つめ直すこともまた、生育歴から目を背けないことと同じくらい大切なことであると考える。

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