夏目漱石『こころ』

言わずと知れた名作、長すぎる遺書の話。

遺書が長すぎて前半の記憶は薄れているのですが、強いていえばそうですね、『こころ』は同性愛の話として読める、と聞いたことがあって、今回読んでいてうーんなるほど、と思いました。「私」と先生の関係はなかなかに妖しい感じがします。

でも先生と奥さん(お嬢さん)の関係も一対の男女としてとても尊いですよね。表面上は幸福な夫婦の、お互いを思い合うからこそのすれ違い、男と女はわかり合えない大前提が切なく沁みます。

女の入り込めない高尚な世界に浸る彼ら、夏目漱石の作品の世界観を考えるにつけ なんだよその女を突き放した視線、家父長制の奴隷どもめ、とどこかで思ってしまうのですが、今回は素直に、先生のような「男」たちは、人間、つまりmanとして生きるの、しんどかったのだろうなあと思いました。

この時代って、結婚に通ずる一組の男女の運命の恋、みたいな、ロマンチック・ラブ!みたいな、そういう男女観、恋愛観が海の外からまだ導入され始めたばかりじゃないですか。このあたり前々から疑問で、先日授業後先生に質問してみたんですけど(ジェンダー社会論という授業)、「男女の自由な『恋愛』が日本で実質的に可能になったのは70年代以降で、戦前は小説の中だけの話だった。日本でいち早くこの恋愛観を知っていた夏目漱石(当時のエリート層)にとって、肉体を離れた精神の愛、恋、というのはハイカラで上等な課題であり、また結婚制度の外での恋愛の葛藤は近代社会の葛藤だった」ということを仰っていました。たぶん。

なるほど〜、でもそういう、精神的な、高尚な愛って、男同士の間に育まれてきたものなんじゃないのかな?とも思って。男にしかわからない、精神的な結びつきの世界。

女と対になりたいのに女と対等にはなれない、精神的な愛を持つことはできても共有するまではいかない、しかも結婚と恋愛は結局別物で、だからお嬢さんとの結婚は何も解決してくれなくて、『こころ』が同性愛を描いたものだといわれるのもわかる気がします。


Kも先生も、傍から見れば何言ってんだみたいなことで延々と悩んで心を自分から蝕まれていて、なんでそんなに世界一不幸な顔ができるのか、ちょっとびっくりしてしまいます。人が羨むエリートで、衣食住にも困ってなくて、肉体的には健康で、なのに自殺してしまうのだから、ああ人間いくら物質的に満ち足りても苦悩と死は常にそこにあるのだな、と思う。考えることって苦しいもの、Kと先生は羨ましいほどに人間だなと思います。


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