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言葉のつむぎ方

先日、友達に誘われてバックナンバーのライブに行ってきました。人生初のライブだったので、そのときの感想をここに記しておきます。

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会場の外には年齢性別関係なく、沢山の人達がいた。
これがバックナンバーの実力だと感じた。
なぜ彼等がこんなにも多くの人から支持を集めているんだろう
そんなことを考えながら、会場へと進んだ。

ライブが始まる。

自分はライブに、単に音楽を聴きに来たとばかり思っていた。
序盤から自分の常識はひっくり返された。

ボーカルの清水さんが語りかけるように歌い始めると、
会場の皆は自然と立ち上がる。

清水さんの声には、

会場の皆を一斉に立ち上げてしまうほどの力が宿っていた。

会場にいる人達は、曲に応じて、座ったり、立ったり、姿勢を変えながら、リラックスしてライブを楽しんでいた。

清水さんは言っていた。

「会場の皆がいなければ、僕は歌う気にはなれないと思う」と。

ライブというのは、一方的なやりとりではなく、観客とアーティストとの相互のコミュニケーションなのだと感じた。

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曲のテーマをなんとなく感じながら楽しんでいると、

ライブの序盤で自分が会場についてすぐに浮かんだ疑問(なぜこんなにも支持されているのだろう?)に対する答えにたどり着いた。

バックナンバーの曲は、
「普通の人の何気ない一瞬」を切り取った曲ばかりだ。

(ライブに来るまでそこまでバックナンバーに詳しくなかった)

そして、それこそが魅力なんだろうと思った。
彼等は、平凡な人の何気ない日常に奇跡を見出しているのだ。
それが、聞く人全てを特別な人に仕立て上げてくれる。
ライブ中に「今日来てくれた皆の人生の隅々にまで感謝している」と言葉にしてくれたのが印象的だった。

彼らには、来てくれた全員にとって、それぞれがいてくれるだけで正解、そのままがベストであると断言できる強さがあった。

曲の合間には、観客に向かって沢山の言葉をかけてくれた。
「うーん、これもちがうな」などと言いながら、言葉を紡いでいた。
それを見て、清水さんは、伝えたいものが先にあって、それを言葉で表現しているように見えた。

すべての曲の根底に同じような思いがあるから、それをずっと受け取っていたライブだった。何という名前の曲とか、具体的に何が語られているかというよりも、何を伝えたいかはっきりしていて、この人は聞く人を主人公にしてくれる人だと思ったあたりで、涙がこぼれた。

歌の合間のお互いのやり取りは、素朴な言葉でやりとりをする姿が映画のワンシーンみたいだった。歌詞を間違ってしまった瞬間すら、愛おしい瞬間に見えるのが不思議だった。

この人の言葉には、確かな価値があると思った。

清水さんは、ライブの終わりに、ライブにアシスタントとして来ていた人を紹介してくれた。

一緒にステージを作ってくれた一人ひとりを、代替できる誰かという表現を使わずに、その人しかいない、その人にしか見出していない自分との関わり、自分にとっての価値を通して紹介する姿勢に魅せられた。

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ここまでバックナンバーをべた褒めをした上で、そこに安易に憧れたり、そこに傾倒しすぎる「危険性」についても思うことがあったので、それを記しておきたい。

それは、バックナンバーの言葉の伝え方について。

清水さんはライブ中、常に伝えたいことが先にあって、それを単に言葉で表現する、というやり方で言葉を表現しているように見えた。

かっこよかった。憧れてしまった。
あんな風になりたいと思ってしまう自分がいる。

しかし、同時に僕の人生にとっては、大切な場面では、何を言うか言わないかという部分に細心の注意を払う必要があると思うのだ。なぜなら、何かを言ってしまった瞬間に、それをコントロールすることはできないからだ。

「聞いてくれる人が主人公である」と伝える思いが先、みたいな考え方は、結局相手を「老若男女全ての人」と想定しているからこそ成り立つバックナンバーにしかできない芸当であって、自分の言葉を届ける人を選んでいない人間にしかできないやり方だと思う。

そう考えると、伝えたい思いを先行させるような人達は、伝えたい誰かを自分で選べないという代償を払っているようにも思える。

事実として、バックナンバーのライブには老若男女関係無く、会場には沢山の人が集まっていた。

最大多数の人間に対して主人公なんだと思わせることが目的であれば、それはそれで正解であり、それを繰り返していくことが信頼の積み重ねになる。

一方、僕には自分の人生があり、常に関わる人を選びながら生きている。

僕は、関わる人を選びながら人生を歩んでいく人にとって、言葉の選別作業を繰り返していくことが信頼の積み重ねにつながっていくのだと思っている。だから、伝えることを優先する考え方を僕の人生に持ってくれば、

どのタイミングで、何を言うか、言わないか、という選別作業を省いてしまうことになると思った。それが危険だと思ったのだ。

僕の人生にとっては、伝えたいことが先行するからといって、それを常に言葉にすることが必ずしも正解になるとは限らない。

逆に言えば、伝えにくい言葉であっても、相手を大切だと思うからこそ、伝えるべきタイミングというものもある。

言葉にすると当たり前のことに聞こえるが、僕からしてみると、これを強く言い聞かせないと「あんな風になりたい」と憧れを抱いた瞬間、迷子になりそうだと思った。

伝える、という行為を一つとっても、立場が変わると、信頼獲得の方法にここまで違いが出てくるのが面白いと思った。

伝えたいこと、発する言葉は、信頼獲得のための手段であって、大半の部分を「その人の生き様」が占めている。だから、それぞれの信頼獲得の方法の違いに応じて、言葉の紡ぎ方に違いが生まれるのだろうと思う。

だからこそ、別のフィールドで戦っている人への安易な憧れから、必要以上にそのやり方を自分の人生に取り入れる必要はないというのが、現時点での僕の考えだ。

人にはそれぞれに適した言葉のつむぎ方があるはずだ。

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以上が人生初のライブを経験した僕の感想でした。
最後まで読んでくださった方、どうもありがとうございました。


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