僕がネット上でお気持ち表明をしない理由

注意

この記事はいつもと比べて圧倒的に暗い話になると思いますので、読んでいる中で気分が下がる可能性があります。十分ご注意ください。ちょっと読んでヤバいと思った方は限界を迎える前にブラウザバックだぁぁぁ!!

はじめに

そもそもなぜこの記事を書こうと思ったのかというと、最近はネットでの炎上があちこちで発生しており、その件数は年々増す一方である。自分はネット民(というか依存症)なので、炎上現場をよく見に行くのだが、その現場や付近でお気持ち表明ツイートを目にする。Twitterをやっている方なら分かってくれると思うが、これをする人が意外といる。ここで言っておきたいのは、自分はお気持ち表明ツイートをする人を嫌っているわけではないということだ。Twitterは何を呟こうと自由なのだから、そこに自分が介入する余地は無いし、する必要もないと思っている。むしろ見ていて、今はどんな考えをする人が多いのかが分かるので、見ていて面白い。

よって、

自分は決して、お気持ち表明をするなと言いたいわけではないのだ!!


これくらいデカく書いておけば誤解されることもないだろう。

本題

さて、いい加減自分がネット上でお気持ち表明しないのかの理由を説明しようではないか。その前にあと1個だけ言わせていただきたい。
今から書くことは、

あくまで個人の考えなので、皆さんの考えを否定するわけではない

ということ。自分の考えを否定されるほどつらい事無いからね。だからこの先の自分の意見も決して否定はしないでほしいな。


はい、大変お待たせいたしました。注意書き書いただけでこんなに長くなるのは想定外だった。では本題にいきましょう。

自分は幼いころから、積極的に意見を言う方ではなかった。友達や先生、親がよさげな案を出したらすぐに自分の意見を捨て、そっち側に回ってしまう。良いように言ったら柔軟なタイプだが、要は”我がほぼ無い人間”なのである。だから周りからは「君は人の話が聞けて偉いね」だの、「おとなしくて真面目」やら言われてきた。今考えると、そりゃあなたの意見に従っているんだから扱いやすくて当然だよねって思う。でも世間では(少なくとも自分の周りでは)それが「いい子」だったので、意見を言う回数は年を重ねるごとにどんどん減っていった。
そんな風に周りに流されやすい自分がTwitterに出会ったのは中1の時だ。当時はアカウントを持っていなくても色々見れたものだから、そこで話題になっているものを見つけるのは容易だった。もちろんその中には炎上しているものもあって、何だこれやばぁ~なんて思いながら見ていた記憶がある。そこから徐々にネットの世界に引き込まれていき、2020年がやってくる。世界中で外出を控える動きが広まり、自分も例外なく家にひきこもっていた。やることも無いので、暇をつぶせるものと言えばネットだけ。一日の半分はTwitterかYouTubeにいた。これが原因でネット依存になっていくわけだが、皆がストレスを抱えていた時期。Twitterの炎上は増えていたのではないか。自分はいつも通りぼんやりと炎上現場をのぞいていたが、ふとリプ欄や引リツ欄を見ると、「~ってのはわかるけど、…もやっぱり○○でどうたらこうたら」みたいな呟きをあちこちで見かけるようになった。中には、「~ってなってるけど私は…」みたいに露骨なやつもあった気がする。今でもあるよね。自分がそれらを見かけたときに思ったのは、
「それいったところで何になるの?????」
だった。先程説明したの自分の生い立ちを思い出していただければ分かる通り、自我が0に近いので人が意見を独り言で(それこそ呟いて)いるのを見ると、そこで意見言ったところで解決するわけでもないし、当事者でも無い限り何も言わない方が相手のためにもなるし、ネットの世界なんだから無視してれば勝手に収まるんだから、なんて無駄なことをしているんだろうと思っていた。ネット上でつい意見を言ってしまう方々には非常に申し訳ないのだが、この考えは今も少し残ってしまっている。ただそこで自分が、「お気持ち表明乙www関係無いんだから引っ込んでろよww」なんぞ呟いたら相手の意見を否定するのはもちろん、自分も間接的に意見を言ってるという矛盾を生みかねない。だから自分は心で思ってしまったとしても、否定するようなことは絶対に呟かないようにしている。
少しネットから離れ、リアルの世界で生きている今の自分を考えてみると、自分で意見を言うようにはしているが、なるべく人の意見に賛成していくようになっている。実は、ここ数年で意見を言う回数が回復傾向にあるのだ。これは高校のおかげだと思っていて、とにかく周りについていくことを第一にしていた自分に意見を求めて、それを決して否定することは無く、むしろ取り入れてくれたりもして、少し自信がついたのだと思う。恵まれた人たちと出会えて自分は本当に幸せである。意見を言う回数が0と1では雲泥の差であるから、自分を成長させる機会を与えてくれたことには感謝しかない。ただ非常に残念なことに、幼いころからの考えというのは中々変えられないもので、今でも意見を言う回数は人と比べたら圧倒的に少ない。これを直すことについては半ば諦めているし、今までの自分の生き方が否定されてしまう気がして怖い。よって自分はこのスタンスを今後も崩さないまま生きていくだろう。それは決して良いこととは思っていないが、今のところ上手くやってきているので、限界が来るまではこのまま行くだろう。

もしかしたら、今まで説明した自分の考え方に理解を示してくれたり、共感してくれる人、はたまた自分もそんな感じで生きています!という方もいらっしゃるかもしれない。ただ自分の厄介なところはここからなのである。
テレビやラジオ、新聞をはじめ、Twitterなどでも毎日必ず流れている、ありとあらゆるニュース。中には痛ましい事件や事故について取り上げられることもある。それを見ると大半の方は「被害者かわいそうだな」や、「この罪ならもっと厳しくても良いだろ!」とか、「国が動けよ」と思ったり書き込んだりする。それらの意見の大半は筋が通っているし、見ていて非常に参考になる。一方自分はどうなのかというと、どんなニュースに対してもポーカーフェイスで、そこから何か感情が沸き上がったりすることは滅多にない。例えば、大きな交通事故がありました!!「ふーん。」深夜、強盗が入って住んでいた方が亡くなりました!!「ほへー。怖いな~」最高裁の判決で、被告は精神疾患により無罪になりました!!「あちゃー。」
興味が無いわけではない。気になるニュースは調べることもあるし、趣味関連の記事は楽しみながら見ている。誰も傷つかないようなニュースは「面白いな」、「これは楽しみだな」なんてウキウキすることすらある。自分にも感情はあるので安心していただきたい。でも、どうして自分は世の中のニュースに対してリアクションが薄いのだろうか。今のところ一番納得できる自分の答えは、”言ったところで変わらない・変えられないからわざわざ言わない。”である。家のテレビにお気持ち表明しても当事者には届くわけがないし、Twitterで呟けば人に届いても、自分と似た意見を持つ人しか接してくれないし、ガチめのアンチが首を突っ込んでくることだってある。結果、カオスになって一番最初の自分の意見なんてどこかに飛んで行ってしまう。そんな風に思っているので、そもそも考えるのをやめたのである。そうすれば無駄な労力を使わなくて済むし、ある意味公平な立場で物事を見られるようになった。
ただこれだけでは終わらない。さらに自分にとって問題なのは、これが選挙にも表れるということだ。ポスター見ると「もうすぐ選挙か~」、選挙カーが走っていると「うるさいなぁ」、となり、終いには「投票会場に行く必要あるか?」となってしまう。意見が無いから、誰でも完全におまかせなのである。”自分が調べていないだけで、その行為は思考放棄だし、ただ投票するのが面倒なだけでは?”と思った方がいらっしゃるかもしれない。確かにこれは完全に思考放棄だし、会場に行くのは徒歩5分でも面倒臭く感じる性格をした人間のせいで、足が動かない。ただ、選挙においても思考放棄となってしまったのはこんな過去があるからである。
選挙権を手に入れて初めての選挙は参議院選挙だった。両親と共に家の近所にある投票所に向かい、どうせなら誰かの名前を書こうと思って、事前に調べて良さげな候補者の名前を書いて投票した。家族間でも、誰が誰に投票したかは言わなかった。結果、自分が投票したその候補者は見事当選した。自分が投票した人が当選し、議員になったのだから喜ばしいことである。良かったこの人当選してた~なんて心の中で思っていたら、一緒にいた両親が、「この人は無いわぁ…」「なんでこの人にこんなに票が入るんだろ」「センス無いよねー」と、これでもかというほどその人を批判するのである。そこで、自分は選挙で意見を言うのをやめようと思った。ちゃんと調べて投票して、当選までしているのにここまで叩かれるなら誰にも入れない方がマシだと思ったからである。今でも両親にこのことは言っていないし、彼らも覚えていないのではないだろうか。今後の選挙は、そもそも投票所に行かないか、行ったとしても何も書かずに投票する、いわゆる白票を入れると思う。国のためになっているのか聞かれれば、それは当然なっていないだろう。この件以来、自分は誰かのために投票するだなんて1ミリも考えなくなったし、現状自分が生活していけそうならそれで良いと思うようになった。

ネットから随分と話がそれてしまったが、リアルの生活でも上記のように意見を言わない人間なので、当然ネットでもそうなのである。自分にとってネットは、面白い話や動画、ちょっとした悪ノリで皆が楽しんでワイワイできる場所であるのが1番なのである。ただ所詮そんなものは理想であり、逐一首を突っ込まれることも無く、友達のような感覚で遊べるネットなんか今後できないだろう。現在のネットは、もちろん面白いコンテンツはあるのだが、様々なニュースや問題、そして何より、それに対するお気持ち表明で埋もれてしまっている。当事者同士が楽しんでいれば一緒に楽しみ、悲しんでいたら慰めてあげる。そこにわざわざ首を突っ込む必要は無いと思っている。お気持ち表明が本当に必要な場合は、その人が重大な問題に悩まされている時ではないだろうか。引退か現役続行か、海外出向か国内残留か、閉店かもう少し続けてみるか、などなど、究極の二択に悩まされているときにお気持ち表明は本領を発揮するはずだ。それ以外の状況でもお気持ち表明は役に立つことがあるかもしれないが、かえってそれがフォロワーに迷惑をかけてトラブルになるくだりもよく見かける。これでお気持ち表明をした話題の当事者にまで迷惑をかけてしまったら最悪である。またそこから別の人のお気持ち表明が始まり、無限ループ化する。自分は、こんなことになるなら、最初から何も言わなければいい話だと考える。皆が何も言わなければ、ネットには本当に必要なニュースと笑えるネタ、くだらない企画で盛り上がると思うのは安直すぎるだろうか?色々な団体が多様性を訴え、コンプライアンスもどんどん厳しくなっているが、誰もが何も言わなければ解決する話ではないだろうか?そこで批判して目立ちたがるような奴は無視していれば勝手に引っ込んでいくし、時間はかかれどいつか平穏な時が訪れるのではないか。これについては、多数の意見は何なのか全くわかっていない。よって自分が一番理想だと思う意見で過ごせている。
もし今後、多数派の意見の方向性が定まってきて、自分の意見より優れていると判断したら、おそらくすぐにそっちに移行するだろう。そうなったらネット上における自分の考え方は変わるかもしれないが、あまりに考えが多すぎて、多数派が確立されることは無いと思っている。だから、いつかできるのを実は楽しみにしている。それまでは、自分はネットでもリアルでも、自我を堂々と出すのは控え続けるかな。でも意見を言うことは悪いことではないので、自分の意見に自信を持てるようになりたいのが今一番の願いである。

まとめ

5000文字超えて自分でも驚いている。長すぎて読めなかったり、飛ばして読んだり、今北産業の方がいらっしゃった時のために、自分の意見をまとめます。

僕がネット上でお気持ち表明をしない理由は、
・幼いころからの過ごし方のせい
・ネットで言ったところで何も変わらないと思っている
・自分にとっての理想のネットに不必要なもの
だから。

皆さんが記事を読んでいて、自分の拙い日本語により、あれだけ注意書きをしていても誤解を与えてしまっているかもしれないので最後にもう1回だけ。
お気持ち表明をするもしないも、皆さんの自由なんだから自分は止めるように言うつもりは微塵もありません!全員が楽しくネットを使えるのであれば、いくらでもしてください!!

長きにわたりよんでいただきありがとうございました。下手な日本語で読みづらいところや誤字等あったと思います。暗い気持ちにさせてしまったら申し訳ございません。いつか書きたいと思っていてようやく書けたので自分自身は非常に満足しています。当人はある程度のネット用語や2ちゃんで盛り上がったスレを知っている程度にはネット好きです。また貴方とどこかのネット上で会えることを楽しみにしています。

以下は読んで疲れてしまった方に向けた項目です。気分転換にどうぞ。

余談(本当に全然関係ない話)

改めて、読んでいただきありがとうございました。非常に長い文章で疲れたと思いますので、自分の好きな曲を2曲ほど共有させていただきます。1曲目、2曲目の順に聞いていただければ、テンションも上がると思いますので是非…(いづれもVOCALOIDの曲なので苦手な方ご注意ください)
当方、鏡音リンレンが大好きなので2曲ともリンレン曲です。ほかの記事で好きな曲まとめていますのでそちらもよければご覧ください。(一番下にリンクあります)

1曲目: 8HIT

最初は気分が落ちていても、曲が終わる頃には多少元気が出ているはず!!その調子で2曲目も是非!!

2曲目: 劣等上等

これでテンション完全回復!このあとも元気に過ごしましょ!!

↓他のおすすめボカロ曲は下の記事にあります

ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました!!

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