本質的な理解ができないこと②

part1の続きです。

自分がその環境に身を置くまでは、本質的に理解をすることが難しいことについてね。
一例として私がバスに乗り遅れそうになった話を書いたけど、それ以外にも普段生きてて田舎的感性と都会的感性の差を感じさせられたエピソードが他にも何個かある。


例えば、宮城には(他の地方都市もそうだと思うが)頭のいい中高一貫はほとんどなく、いわゆる(ちゃんとした中学受験対策の必要な)中学受験をする人はほとんどいない。
だから中学受験用の塾も、私が知る限りない。
都会には中学受験用の有名な塾があるらしい。
そこにギャップがある。

この前東京で飲み会をした時に、その場に慶応に小学校から入っている子がいた。
都会出身者はその子をお金持ちやんwってちょっといじる雰囲気がある中、地方出身者はなんのことかわからなかった。



私は国公立大に通っているが、大学入試の時は滑り止めとして私立大を一個も受けなかったし、塾にも通わなかった。
それを他人に言うと、めちゃくちゃ驚かれる。
地方出身の人に言うとそこまでではないけど、都会出身の人に言うと、まじ!?あり得ない!?というほど驚かれる。

地方は都会にはおそらくあるであろう名門塾的なものがないし、行く価値のある(と言うと語弊があるんですが、国公立大を第一志望としてる人が滑り止めとして受けるにちょうど良い)私立大が多くない。
都会出身と比べて地方出身にとっては、東京のいい(というと語弊が以下略)私立大学を受けるには大きな覚悟と金が必要だし、それに価値を見出さないといけないから、私立大を受けるハードルが高い。
私の高校では、もちろん私立大を受ける人はいっぱいいたけど、基本的には国公立志向、私立は受けるとしても絞って受けている人が多かった。
なんとなーく、その感覚はどこの地方出身者に通じていると思う。

対して都会出身者は元から私立志望という人が多いし、国公立にこだわってる人は家計が厳しいのかな?と見られかねない。
しかも受ける時に文学部、法学部、商学部、経営学部、とか乱れ打ち(?)するしね。



あるいは交通手段のことで言ったら、都会出身者が地方に旅行に来ると、バスや電車の時間を調べずに来て、え!?ここで20分も待つの!?となることがある。
そもそも地方の暮らしに慣れているこちらからしたら20分『も』ではないという話もあるが、これくらいの田舎度合いだったらバスの本数限られてることも容易に想像つくでしょ!?なんで調べないの!?とびっくりする。

逆に地方出身者が都会に旅行に行くと、律儀に電車の時間を調べ始める。
で、あ〜電車逃しちゃったと悲しむけど、少し待てばすぐ来るから大丈夫だよ!と都会出身の友達に励まされる。
そういう部分も違うよね。



あとさっき書いた東京での飲み会の解散するくらいのタイミングで、みんな家どこ?ホテルどこら辺に取ってるの?という話になった。
その場にいたほとんどが都内に住んでいる人なのでそこまで時間がかからず帰宅できる。
私も近くにホテルを取っていたので大丈夫だった。

しかし九州から来たという子は、これから友達の家がある成田に帰ると言っていた。
それを聞いた都会出身者は、え!?なんでそんなとこに!?早く言ってくれればいいのに!という雰囲気。
対して私は、あー、遠いけどそれくらいの遠さもありえるよねって反応をした。

九州から来た子と宮城出身である私の感覚からすると、東京から成田までの1時間半程度の移動は当たり前に普段から起こってるし、そこまで大変と思わない。
それに対し都会出身者からすると信じられないくらい耐え難い不便なんだと思う。



今後私が働く東京ではこういうギャップをよく目の当たりにすることになるだろう。
そういった時に、都会出身者はマジョリティなのでへーそうなんだ!程度なんだけど、地方出身者はマイノリティなので、なんか傷ついたりする。

その際にお互いわかっていないといけないことがある。
都会出身者においては、無知であることで無意識に他人を傷つけてしまう可能性があるということ。
地方出身者においては、それは別に故意に傷つけようとした発言ではなく、ただ知らないだけなんだと理解すること。

お互いはお互いのことを本質的に理解することがずっとできないままなのである。
少なくともその環境に自分自身が身を置くまでは。


まだ続きそうなのでpart3に繋げます。

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