目に見えるものと見えないもの、その正しさ

会社の同期が多く集まる空間にいると、なんか生きづらいなーと思うことがある。

(これは私の考え過ぎがほとんどの原因である可能性があることを承知の上、読んでください🥹)

というのも、なんか自分が軽んじられているような、他の人とモノの見方や評価の尺度が違っていて根本的に話に共感できないような感覚がある。

別に私が大人数の場が嫌いだからとかではない。
大学の友達とか部活の友達とかの大人数でいる時にこういうことを感じたことはないし。

このなんとなく漂っている(そしてこれを感じているのは私だけではないと思うが、少数だと思う)生きづらさについて、考察をした。


私が常々大事にしている価値観として、『目に見えないことにこそ価値がある』ということがある。

逆に言うと、『目に見えるものには目に見えている以上の価値はない』。

例えば、この人は〇〇という資格を持っている、TOEIC〇〇点取ってる、〇〇というソフトを使える、身長が〇〇センチあって高い、フォロワー〇〇人いる、とか、数値的に判断できるもの。

あるいは、この人は顔がかっこいい、高い服を着ている、留学経験がある、実家が太い、賞歴がある、みたいな、わかりやすい尺度で計られるもの。

そういったものにはそれ以上の価値はないと思っている。

もちろんTOEIC900点は900点なりにスゴイ。
顔がかっこいいのも羨ましい。
それらは確実に評価されるべきものである。

だが私の同期には、〇〇くんかっこいいのにもったいない〜!とか、あの子は留学してるから人間的に成長してるし絶対昇進早いよね!みたいなことを言う人が多い(あるいはそういう発言に乗っかる人)。

こういう発言はつまり、上記のような『目に見えるもの』を過剰に評価していると思う。

その人がかっこいいからといってシゴデキとは限らないし、留学に行ったからといって人間的に成長してるとも限らない。


私はそれよりも、その人の内面というか、目に見えない部分から評価(というのもおこがましいが)している。

例えば、先ほどの例に近いところで言うと、顔がかっこいいその人はどんな思いでどんな努力をしてこうなったのか。
TOEICの点数が高いあの子は高い点数を取るということにどういう意味を見出して勉強を頑張ったのか。とか。

そもそもその人の生き方の指針だとか信念だとかそういう部分を会話の中に(勝手にかもしれないが)見出して、あ〜この人はこう考えてる人なのね、すごいわ。。とか、この人はこんな自信満々なのに他人への見栄だけで行動してたんだ?とか、そんな感じで人を計っている。


そして私が常々感じている生きづらさ、軽んじられている感じは、そのせいである。

正直私は目に見えるステータス的には取るに足らない人間である。

顔が可愛いわけではないし、英語できるわけではないし、賞歴もないし、フォロワーも友達しかおらんし、特別使えるソフトもないし。

その代わり私は、目に見えるものにはそれ以上の価値がないということを分かっている。

とは言え私もあの人めっちゃ金持ってるし顔良いし神じゃん❣️とか言うこともあるんだけど()
少なくともそれが良いことではなく、目に見えないものにこそ価値があるということに意識的になっている。

ただ、そんなことは目に見えるもので計る人たちにとってはなんのステータスにもならない。
なので私は軽んじられているように感じるし、人との価値観が根本的に合わないと感じる瞬間が多い。

これが理由だろうと、私の中で納得した。


ではなぜそういう人が多いのか。
世間一般には多くないのに、この小さな界隈に多い原因を考えた。

まず私の会社の同期の特性として、『1~2年前に就活を終えたばかりの建築学生』という部分は共通している。私はそれに大きな要因があると思っている。

というのも、就活では多くの受験者がいて、評価者は流れるように彼らのステータスを見て合否を付ける。
もちろん面接でその人の内部に迫ろうとする試みもあるが、その程度ではほとんど知ることはできていない。
就活で大事なのは、数値の入った分かりやすいガクチカ、学歴、賞歴、ソフトを扱うスキルとかなので、就活生は当然そこを磨く。

自分の思想を磨くなんて人は滅多にいないだろう。

特に建築や芸術関係の分野においては、ポートフォリオという、いわゆる作品集の提示を求められる。

そこに各自の作品をレイアウトしていく中で、大抵みんな賞歴が派手なものを先頭に置くし、ちょっとでも海外経験や持っている賞歴があれば書く。

私はこれ自体は良い、というか当然のことだと思う。

先に言った通り、就活とはほとんどその人のステータスを見て合否を決めるものだから、ステータスはあればあるだけ、なんなら少し盛るくらいでいい。


で、会社の同期というのはそんな就活を潜り抜けてきたばかりの人たち(それも成功した人たち)だから、もうステータスで人を計り、自分のステータスをできるだけ高く見せたいという癖が抜けないのである。

それが多分、この小さな界隈でのみ感じる生きづらさの理由なんだと思う。


でも普段の人間付き合いって流れ作業的にステータスを見て人を品定めする場ではなく、人間同士の精神的な関わり合いじゃないですか。

仕事上の人付き合いは利害関係だったり絡むので精神的ではないけど、それ以外は大抵精神的な関わりは必要だと思う。

だから当たり前に(そうでもないのかな)、普段の人間付き合いは目に見えない部分によって計られるべきだと思う。


そんなことを私は考察した。

私は正直そのポートフォリオに載せるようないわゆるステータスなんてほとんどないからこそ、こんな俯瞰的な発言をしているのだが、もし私にすごい賞歴があったりお金を持ってたりしたら、いつのまにか私も目に見えるもので計る世界に飲み込まれてしまいそうなので後日特大ブーメランとして飛んできそうで怖いけど。


幸いにも今私のごく身近にいる人は私と同じ物の見方をしていて、目に見えるものばかりを論じる人はいない(というかそういう人は私の知り合いではないという判定をしてきた)。

それだけで幸せと思えるようになりたいなー

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