寝る前の考え事

私以外にも同じ事を考えてる人は世界のどこかにはいると思う。
私の位置からでは観測できないが…
そんな私に少しでも共感できるような方達と少しでも意見交換が、価値観のちょっとした共有がしたいのだ。

「個性的」などと言う言葉はとても都合のいい言葉だと私は思う。

どれだけ他の人よりも劣っていても「個性的だよね」なんて言葉で守れてしまう。
逆に優れている時にも「個性的」なんて言われ、まとめられてしまったら努力を認めてくれていないようで腹が立つかもしれないが…。

個性はあまりに突飛に悪い方向になったものを、他者に見せていたら、それは「個性的」などと言う言葉に納まらず、「異常的」に変わると私は思っている。

これを踏まえて、下の文を読んで欲しい。

私は固定的な嫌いな人間を作らないと中学の頃から決めて今まで生きてきた、だが最近、あまりにも酷く見える者が現れ、私はきっとその者が嫌いになってしまった。
固定的な嫌いな人間を作らないと考えていたにもかかわらず出来てしまった…のだと思う。

私はどこがどう嫌いで、なぜ、その者を嫌いになってしまったのかを考えた。

普通ならばきっと、頭を痛くしながら嫌いな者について深く考えるような事はしないのかもしれないが、私は自分自身を不思議に思えてしまって、考える事をやめられなかった。

言葉と知識はとても強い武器である。
ここ数年で色々な経験を積み私は学んだ。

私が好きな小説に1つ私がとても深く感じた言葉があったので紹介しよう。

「宝石商リチャード氏の謎鑑定〜邂逅の珊瑚(サンウー)」⑨巻より引用

『人とは他者との間にあってこそ、人たることができる。他者からの尊重がなければ、人間は人間であることが難しい』

ここで、少し嫌いな者について考えると、私は人間とほぼ思っていない事がわかったのだ。
だから、先程から記載する際には「嫌いな人」とは描かず「嫌いな者」と描いているのだ。
それは人権などを考えると、絶対にやってはならない差別のようなものだとわかっているのにも関わらず、人と認めたくない気持ちが強い。
差別なんて嫌いなはずなのに。それを私は今、している。
思考が止まらなくなりそうになってしまう。

きっと私はまだまだ思春期で自分の中での矛盾がおおいのだろう。

だが、とにかくそれ程までにその者を嫌っている自分が醜いと思った

こんな経験を少しでもした事があったり、似たような経験がある人はいないだろうか。

まだ、noteに慣れていなくてわかりずらい文章でなんだか恥ずかしい気持ちもある、誤字や脱字は寛大な心と読み手の理解力に頼りきりなのである。

慣れるのにはもう少し時間がかかりそうですね。

#私的価値観 #小説 #感情 #日記 #note