UKロック 名コンビ列伝 中編

このツイートを掘り下げてみたい、と思ったところから始まったnoteです。

中編から読んでも特に問題ないですが、折角なので前編から読んでくれると嬉しいですねえ‥。

前編→https://note.com/1201shout/n/n112f0c1cf64e


4.レッド・ツェッペリン:ロバート・プラント×ジミー・ペイジ


バンドにまつわるエピソードとか、個人個人のエピソードならそれなりに知っているのですが‥。ペイジとプラントの二人に関するエピソードはそこまで知らないことに気付きました。

ツェッペリンは4人とも非常に個性があり、ツェッペリン好きな人は今やメンバー全員にそれぞれ目を向けると思うのですが、活動当時はプラント&ペイジのフロントの二人があまりにも巨大な存在として扱われていたため、リズム隊の二人の注目度は今では考えられないくらい低かったらしい‥(なので残されたステージ写真もプラントとペイジのが圧倒的に多い)

ヤードバーズが実質崩壊したあと、自らの構想していたプロジェクト実現のためメンバー集めに奔走します。ボーカル候補には前編で紹介したいスティーヴ・マリオットや、スペンサー・デイヴィス・グループやトラフィックで活動していたスティーヴ・ウィンウッド、ドラム候補にキース・ムーン‥など、名のあるミュージシャンを始めは狙っていたようです。


この曲はジェフ・ベック・グループの曲ですが、作曲はジミー・ペイジ。メンバーはジェフ・ベック&ジミー・ペイジ(ギター)、ジョン・ポール・ジョーンズ(ベース)、キース・ムーン(ドラム)、ニッキー・ホプキンス(キーボード)というスーパーメンバー。

このセッションに手応えを感じたペイジは、このメンバーにボーカルを入れてバンドをやりたかったようですが、ジョンジーとニッキー・ホプキンスがあまり乗り気でなかったようで挫折。

そのあと名のあるミュージシャン以外からも候補を探し始めたペイジが出会ったのが、当時全くの無名だったロバート・プラントです。無名とは思えない実力を持つプラントを前にしたペイジは「こいつ、こんなに凄いのに無名ってことは性格に問題があるんじゃないか」と怪しんだそうです(笑)

さらにプラントのバンド仲間だったジョン・ボーナムをドラムに加え、安定したセッションミュージシャン生活を捨てきれないジョン・ポール・ジョーンズ(この人もペイジと同じくツェッペリン加入前からキャリアが確立されていた)を必死に説得してベーシスト&キーボーディストとして加入させます。これでレッド・ツェッペリンの完成です。

ツェッペリン前からキャリアのあったジミー・ペイジと、ツェッペリン以前は全くの無名だったロバート・プラントでは経験が違いすぎ、また元々ジミー・ペイジのバンドとして始まったということもあり、初めは力関係としてはペイジが圧倒的に上だったようですが、ツェッペリンの活動と共にどんどんシンガーとしてもミュージシャンとしても力をつけていったプラントの力も増し、いつしか二人の力関係は対等に近いものになったんだとか。対等になる連れて、マネージャーのピーター・グラント(この人もめっちゃキャラが濃い人。ツェッペリンの映画でメンバーと同じくらい目立っている)も二人の関係に気を使うようになっていたらしいです。

ソングクレジットはペイジ×プラントの他に、ジョン・ポール・ジョーンズが加わることも多い。ジョン・ボーナムも加わって、4人揃ってクレジットされることもしばしば。

僕は勝手にこの二人は仲良しだと思っていたのですが、前述したように緊張感のある関係になることも多かったらしい。ペイジ・ボンゾvsプラント・ジョンジーの構図が多かったんだとか‥?このあたりは一度ちゃんとツェッペリンの伝記本なんかを読みたいですな。



ツェッペリンの音楽性はハードロックの一言では表せないくらい幅広く、ペイジのギタープレイもプラントのボーカルスタイルもそれに見事に対応できる素晴らしさを持っていて、僕はどのスタイルも大好きなのですが、ジミー・ペイジのハードなギターリフにロバート・プラントの声が乗っかる瞬間が、ツェッペリンでいちばん好きです。この二人のスーパープレイを支えるリズム隊の二人も素晴らしい。そりゃレッド・ツェッペリンは人気になるし、残した音楽も素晴らしいわな‥となります。あとメンバー4人の個性が完璧でたのがカシミール。ライブバージョンが最高。


やっぱり世界最強の4人だよね。

5.クラッシュ:ジョー・ストラマー×ミック・ジョーンズ


パンクにおける名コンビといえば、この二人をおいて他にないでしょう!クラッシュと言えば、パンクの可能性を無限大に広げた名バンド。音楽的なパンクの要素が強いファーストアルバムで既にジュニア・マーヴィンのレゲエナンバー「ポリスとこそ泥」をカバーしております。ピストルズやダムドがストゥージスをカバーしていたのに対して、クラッシュは初めからレゲエをカバーしていたというのが面白い。

クラッシュがレゲエを取り入れるキッカケになったのが、幼少の頃からレゲエを聴いていたベースのポール・シムノンの影響。ジョーとミックは、「ポリスとこそ泥」をカバーするにあたり、他のUKバンドが少しでもルーツレゲエに近づけようとしていた中、1本はレゲエのようなオフビートで、もう1本はロックのようなオンビートで、それぞれギターを弾こうという考えに至ったそうです。



これが他のバンドと一線を画すこととなり、なんとボブ・マーリーの耳にまでこのカバーが届くこととなる。ボブ・マーリーは初めはパンクの連中を「粗暴な奴ら」と毛嫌いしていたものの、後にパンクの誠実さに心を打たれ「パンクとレゲエは共鳴する」という思いを込めたPunky Reggae Partyという曲を作っています。



こういった革新的な姿勢が後に大傑作のロンドン・コーリングを生むことになります。ジョー・ストラマーの主張を込めた歌詞や様々な話題に踏み込んだ歌詞、ミック・ジョーンズの幅広い音楽性が合わさり、最強の名盤が出来上がったわけです。もちろんポール・シムノンのレゲエバカ一代な姿勢と、トッパー・ヒードンのどんなスタイルも叩きこなせるドラムも忘れちゃいけない。

ソングクレジットはストラマー×ジョーンズ。4thアルバムのサンディニスタ!からはバンド名義になります。

ジョーとミックの関係ですが、実はよくわかりません。年の差が3つなので、ジョーが引っ張るような感じだったのかな‥?近々クラッシュの伝記映画を観て確かめたい。ただ1つわかっているのがミックがボーカルを務める「Lost in the Supermarket」を書いたのはジョーで、ミックへのプレゼントだったようです。ミックは「ジョーから俺への粋なプレゼント」と近年のインタビューで語っております。


ちなみにミック・ジョーンズですが、5thアルバムのコンバット・ロックを作ったあとクラッシュをクビになっています。後にジョーは「人生最大の失敗」とこの決断を悔やんでいたりします。しかし二人ともクラッシュの後の音楽活動でも(低迷期もありながら)それなりに成功しており、またクビから数年後にがっつり共演・共作していたりします。

またジョーの死の本当に少し前に二人はステージで共演しています。そこでクラッシュ時代のナンバーを演奏したようで、「また必ずミックと曲を作る」というジョーが晩年に語っていた夢は叶わなかったものの、最後に一緒にやれて良かったなあ‥と思ってしまいます。

僕にとって(音楽的だけでなく広義な意味での)パンクとはクラッシュのことを意味する!それくらい特別なバンドです。そんな特別なバンドの名コンビです。


6.ザ・スミス:モリッシー×ジョニー・マー

スミスは下手なことを書くと、こだわりの強いお方たちからお怒りのリプライやエアリプを食らうので、慎重にやります‥笑

マンチェスター発、80年代を代表するギターバンド、ザ・スミス。そのボーカルのモリッシーとギタリストのジョニー・マー。モリッシーが書いた詩に、マーが曲をつける。良いですね。Base Ball Bearの歌詞に「君が書いた詩に、俺が曲をつけてくように」なんてのがありましたが、正にそんな感じ。

モリッシーは元々ライターで、ジョニー・マーはその読者だったらしい。モリッシーの文章が好きだったマーがモリッシーの文章に歌詞をつけたい、というところがスミスのスタートになったらしい。中々珍しい結成秘話。モリッシーの詩ありきのバンドだったわけですな。

作詞:モリッシー 作曲:ジョニー・マーの組み合わせは80年代の最強コンビだったのではないでしょうか。モリッシーの歌詞は辛辣な社会批判であったり、自虐的であったり、若者の苦悩を歌っていたり、と決して明るいものではない‥というか暗い。そんな歌詞を一見(特に英語圏ではない人達には)感じさせないジョニー・マーのメロディアスな作曲。80年代のシンセサイザー全盛期の音とは対極であり、当時行き場のなかった若者たちに熱狂的に支持されたのもわかるような気がします。

僕も初め、モリッシーのボーカルの感じから、スミスはそんなに明るいことは歌っていないだろうとは思っていたけど、訳を見て想像の4倍くらい暗いことを歌っていたのでビックリしたものです。モリッシーの歌詞にここまでキレイなメロディとギターを添えたジョニー・マー。このギャップにやられる。今なお伝説のバンドとして語り継がれているのも納得である。

ギターとメロディの美しさと歌詞の救いようのなさのギャップが好き。

モリッシーとマーの年齢差は4つ。20代の頃の4歳差はかなり大きい。モリッシーがやはりバンドを引っ張っていたのでしょうか。ちなみにスミスのオリジナル曲をは全てモリッシー×マーの手によるナンバーです。


お互いに対して持っていた不満がどんどん肥大化していき(スミス以外の活動に積極的だったマーに対してモリッシーが、モリッシーの音楽志向の狭さに対してマーが、それぞれ不満を持っていたらしい‥本当かどうか知らんけどね🤔)、結局スミスは5年程度で崩壊するわけだけど、その5年でその後のUKロックの方向性を決定付けたすごいバンド。モリッシーとジョニー・マーの才能がそのあと交わることは(今のところ)ないけども、お互いの才能は今でも認めあっているようです。二人とも未だに前線で走り続けているのはさすが。2年か3年前のインタビューで、マーは「モリッシーは友人ではない」と言い切っており、現在はおそらく交流はないと思われます。でもこのコンビが名コンビだったことは永遠に語り継がれることでしょう‥


ちなみに僕は数年前にモリッシーの来日公演を観に行く予定がありましたが、モリッシーの都合でキャンセルしやがりました。その日、俺は焼肉を食ったからな、モリッシー!


次回、後編になります。本当はカサビアンについても後編で書きたかったんだけど‥ちょっとまだ整理がついていないので難しいですね‥😭

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