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彼岸入り

おはぎが食べたいきこぺんアロハです。今週はおはぎを作ることをここに宣言いたします。

3月17日から彼岸入りらしい。自然やご先祖さまに感謝を捧げる伝統行事。ちょうど2018年の3月私は日本に帰っていた。いつか使うことがあるかもしれないと思い、保母資格を保育士資格に切り替える手続きや父の顔を見るために溜まっていた有給を2週間取った。とはいうものの日本でも仕事をしていた。今思えば本当に働きすぎだった。

まだその頃、父はとてもアクティブで(今もアクティブなのだが)地元の市主催の春のマラソン大会に出るのが恒例だった。最高齢者賞をもらってしまったとちょっと不服そうだった。父はマラソンのタイムを練習の時も大会の時もきちんと測り、その記録をまとめて統計コンクールにも参加していた。

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日本に到着した私に父が遠慮がちに言った。「お彼岸のお寺の行事のお手伝いに行ってもらえるかな?」父は何でも自分でやってしまうのでお願い事をされることはほとんどない。「もちろんお手伝い行きますよ。」と喜んで返事をした。土曜日のお彼岸法要にお参りに来られる檀家さんに昼食を出すのが慣わしらしく地区ごとに檀家のグループが決まっていてちょうど今年はうちの地区がその当番らしい。子供の頃からよく知っている近所のおばあちゃんも行くらしいからその人に色々聞けばいいからと父は言った。

短大卒業後、私が働いていた保育園はお寺が経営の保育園でよく土日もお寺の行事に駆り出された。今の私なら無給で土日もご奉仕ですと!と抗議したと思うけどその頃の私はお寺で大きなやかんでお茶を作ってお見えになった檀家さんにお配りしたり、他の先生方と法要の中で仏歌を歌ったりしていた。保育園の経営方針は別として他の先生達との交流がとても楽しかったのだ。お寺の行事よりその後の打ち上げと称して居酒屋に連れて行ってもらえるのが楽しみだった。今回の私のミッションはお寺での昼食作り。保母時代に必ず割烹着を持ってお寺へお手伝いに行っていたことを思い出した。割烹着がいる。

シカゴにいる妹に割烹着なるものはこの家にあるかとLINEで聞くがないらしい。私は父に頼んで近くのショッピングモールへ連れて行ってもらい白い割烹着を探した。これがなかなか売っていない。おしゃれなエプロンは沢山あった。カフェの店員さんみたいなのとかも欲しいけど違う。今回は割烹着だ。うちの実家はとてものどかな場所だ。子供の頃から景色が変わっていない場所。山も川もそのままだ。一度、晴れていたので近所をジャージ姿でサングラスをかけてお散歩していたら遠くで私を見ていたおばあさんがどんどん近づいてくる。鍬を振り上げて(笑)。私が不審者に思えたのだろう。やられたら困るのでサングラスをさっと取り、「こんにちは」と大声で挨拶をした。のどかな場所でも時々不法投棄だったり、不審者の目撃はあるらしい。我が家は私が渡米後、妹はご縁があって地元で英語教師だったアメリカ人と結婚した。妹夫婦は5年ほど実家に同居していた。外で大声でバーベーキューをしたり義弟もちょっと変わってるので何かと目立っていたようだ。それでも地区の人達は皆さん親切でいつも良くして下さっているだけに私はここのやり方に従わねばと思った。アメリカに住んでいるけど日本の常識は理解しておりますみたいな感じで。だからやっと見つけた白い割烹着を買った。

当日、割烹着を持参で張り切ってお寺のお手伝いに行った。顔見知りの人は、ほとんどいないけどご挨拶をして厨房に入る。見ると皆さんとてもお洒落なエプロンをつけておられて白い割烹着は私だけだった。黒とかデニムとかエプロンを着けておられる中、そう私は昭和からやってきたタイムトラベラー(笑)。ルーキー白い割烹着の私は指示されて野菜を洗ったり、切ったり配膳を任された。エプロンならうちにいっぱいあったので白い割烹着は要らなかったのだ。お手伝いも終わり、皆さんと昼食を取り帰宅。このお手伝いの当番は女性が参加するという昔からのしきたりがあるので父は妹が渡米した後は我が家からは誰も参加出来ずちょっと肩身が狭かったのかもしれない。私が参加したことを助かったととても喜んでくれた。またお手伝いする日のために白い割烹着はきちんと洗って仕舞い込んだ。

翌朝、お寺の厨房でお世話になったご近所の女性が「昨日はお手伝いありがとう。焼き立てだからお父さんと食べて。」と自分で焼かれた大きな美しい食パンを仕事に出かける前に届けて下さった。のどかな場所だけど私が知らない間に色々進んでいると思った。

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