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始まりと終わりはいつも突然

遅くなってしまったが前回のnoteより。
まだご覧になってくれている人はいるか
分からないが、私の記録を綴りたい。

物忘れが増え始め、それでもその時は
疲れているのだろうと思っていた。
忘れないように携帯のメモ欄にメモを残すようにしていた。

どんどん記憶がなくなる日々の中である日
携帯のメモに『貴方の中にいます。』というメモが残されていて、初めはイタズラかなとかオカルトかと思い怖かった。

たまたま知人に最近の物忘れが激しい事や
気がつけば息子の迎えの時間になっている事や
物が違う場所に置かれていたりする事を話した。

知人は医療に詳しい人で、解離性障害かもしれない可能性がある。病院を紹介すると言ってくれた。

当日の初診の日、私に記憶はない。
初めて私にメモ書きを残した少女が
先生と話したようだ。

次の受診の時、私にとっては初めて出会う
お医者様だったがその際に描かれた絵を見せられて、幼少期の事から何まで聞かれた。そしてそのまま、『貴方は解離性障害』という病気です。と診断を受けた。

お医者様からの説明は、幼少期の辛い出来事が原因で自身を守る為、他の人格が複数私の中に存在する事です。と簡潔に説明を受けた。
現時点で、寛解する医療方法はない。
まずはうまく中の住人と付き合っていく方法を考えましょうという提案だった。

まるでファンタジーの世界みたいであまり現実味が自分の中でなかった。

後に調べたが科学的に解明されていない病で
この病を見られるお医者様は数少ないと知った。

幸い、私の中に暴力的だったり私自身を傷つける事や他の人を傷つけるような子はいなかった為、
安定剤と眠剤の服用をする事になった。

メモを通して中の子とは色々な事を
共有しあったが、子育てにもとても協力的で
楽しむ写真を残したり動画を残してくれたり
はっきり言って困った事は何一つなかった。

息子も全く恐れている様子もなく
私が母でいない時もとても楽しそうだった。
それでも正直心配はかなり残った。

記憶がない分、怖いに決まっている。
Fさんは何も気づいていなかったのだろうか
気付いていて知らないふりをしていたのか
わからない。どちらにせよ、ほとんど家にいない人だったので知っていたかはわからない。

最初の診察は知人が一緒に付き添ってくれたようなので問題はなかった。

Fさんにもこの話はして協力しあうという話になった。

だがある日、Fさん宅の屋上で
花火を見ていた時の事である。
この時、私は私自身でした。

私は浴衣姿で、息子は海外用の大きなプールで遊んでいた。

息子が私に遊んで欲しいとせがんだので
浴衣だから少し待っててねと言い、
Fさんに少しの間遊んであげてと言った。
私は浴衣が濡れないように準備をしていた。

Fさんがプールに入ると突然息子の頭を持って
ほんの一瞬だったがプールの中に押しつけたのをみて、私は浴衣姿を忘れてすぐに走った。

ずぶ濡れになって息子を救出した。
幸い息子に怪我や呼吸の問題はなかった。

Fさんはあっけらかんとしていて
極々普通にしていた。

私はそれを見て今すぐにでも引っ叩きたいと思ったが、息子が見ている前で母がそんな事をしたら不安に思うだろうという事が頭をよぎり、
息子が寝てからFさんを問いただした。

『なぜあんな危険な事をしたのか?万が一の事があったらどうするつもり?』正直怒り狂って何を言ったかあまり覚えていない。
ただ本気で怒鳴ったのは覚えている。

Fさんは物凄く普通に『ただの遊びだろ?何が問題ある?』と言われた。

正直頭が真っ白で『は?』と思った。
Fさんには結婚はしていないが、
子供が1人おり、母親が結婚前に出て行った事は知っていたが、面会と養育費を渡す時は普通の父親だった。息子に対しても今までそんな素振りはなかった。だから余計に意味がわからなくてその日は眠れなかった。

朝方、私はどうしても許す事が出来なくて警察を呼んだ。児童相談所と警察官が家に来た。

私とFさんは別々に話をした。
Fさんは家の外で。
私は家の玄関で息子を抱いたまま話した。

Fさんはうまく警察を追い払ったようだったが
私はシェルターへ行くか母子寮へ行くかを聞かれた。

シェルターは息子にとって自由がなくなる率が高く自閉症スペクトラムで更にADHDが強めの息子には難しいと考えた。

母子寮についても詳しく聞き、
母子寮を選択した。

私はFさんと別れた。

次回は母子寮での暮らしについて
書きたい。
母子寮で分かった事人格者の事は
とても多い。
普通の暮らしでは難しかったであろう。
このnoteを書いている事は
中の人格者は皆知っている。
もし、他の人格者が私のnoteの続きを
綴ってもそれでも良いと思っている。

今まで大変な事は沢山あったが
苦楽を共にした私にとっては
彼女、彼らはいつだって
私や息子を守ってくれた仲間だ。

彼女や彼らが私や息子を大切にしようと
努力したのと同じように私も中の人格者達を
否定せずに1人の人として向き合っている。

noteを書き始めてから以前も書いたが
解離が悪化している。
過去を振り返る事がこんなにも
大変な作業だと初めて知った。
それでも書き続けたいという私の願いは
変わらず今もある。

病も恋愛も
始まりと終わりはいつも突然だ。

最近はこの24時間という短い時間を
私達は共有して生きている。

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