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『朱夏を待て』(6)

「一度に4人までだったら良いってことなんですね。」

阿比留も、仕事を含め普段と違う日常の流れに少々疲れていた。

「店内の消毒は当然として、換気が十分なこと。大皿盛りの料理は避けること。料理に集中して会話は控えること。席は一人分ずつアクリル板で仕切ってあって…ってこれじゃ一緒にご飯の意味あんまりないですね!」
「それでも、誰かと顔を合わせて飯が食えるって貴重ですよ、出会いも何の希望もないバツイチ男には。」
「お酒飲めるならビアガーデンもありですね、昔のありきたりなおつまみしかないイメージじゃなくて、今は凝った料理を出すところも増えてるし。」

座って食事をする時間もろくに取れない春哉と阿比留が休憩室で話すことはほぼなかったのだが、この日は本社会議が中止になりポツンと暇が出来たのだ。阿比留が、仲の良い本社スタッフを呼ぶので8月末の棚卸し後にでも食事を、と作戦会議が始まったのだ。

「家庭でなかなか出てこない料理がいいかもですね。本社の近くには面白い店ないんですか?」
「うーん、それなら駅までの途中の『ちゅらかーぎー』か、中央通りの香港酒家か、郵便局の隣のビルのトルコ料理か、あー、そのビルなら怪しいカレー居酒屋もあるな」
「よく知ってますねしかし。お任せしても良いですか?ファミレスと牛丼屋しか通わなくなった奴ですから。」
「分かりました、お楽しみにしておいて下さい。メンバーが女性3人になるかもっていう事も含め。」

そろそろ寝ないと、という時間になっても、春哉はあまり経験したことのない緊張の中にいた。二人きりではないとはいえ、妻、いや、元妻以外の女性と食事するなんて学生時代以来だ。学校近くの小ぎれいな、それでいて金欠男にも優しい値段の店を選ぶのがせいいっぱいで、決して甘い思い出とはならずに終わってしまった。

春哉は二本目の缶を開けた。その音とともに思い出したが、彼には頼もしいブレーンがいるのだ。LINEは知っていたが今まで特に使わなかった相手だ。

「もしもし、かずっち?」
「えー、はるちゃん?久しぶりー!なーにー、どうしたの?再婚?」
声の主も誰かと話す機会は格段に減っていたに違いない。弾んでいる。

「いやいやこのご時世にないってそれは。」
「そうよねー、取手にも帰ってないんでしょ?忙しそうだもんね、ドラッグストアとかずーっと行列じゃん。マスク争奪戦だし。」
「そうなんだよー、あれもないこれもないなのに客数だけはすごい増えちゃって、売り上げいいのはいいんだけど労力に見合ってないっつーか、でもかずっちこそ日銭入ってこないんじゃない?」

かずっちとは高井一葉、春哉の従姉である。彼女の母・純子が柏で営むスナックを継ぎ、営業自粛中ながらもオンラインで客から投げ銭をもらったり、得意のカラオケを動画コンテストに送って賞金を稼いだりとなかなかのやり手である。純子は18歳で家を出て未婚の母となりひとりで彼女を育てたのだが、そのバイタリティは無事に遺伝したというところだろう。


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