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エイブラハムの赤本を読み返しています
なんかもうね、初めて読んだ本みたいに思える
今まで随分検討はずれな部分にマーカー入れたりしてて、私どこに注目してたの?って感じです
で、とりあえず全部手放して1からやってみようというアイディアがわいたので、本に書いてある通り「気分がいいか、悪いか」それだけに絞って過ごすというゲームを始めました
どんな風にやってるかというとね
あらゆる折につけ
あれ、今私気分いいかな?
これっていい気分って言えるのかな?
という疑問を持つようにしたのです
いい気分じゃなかったら、速攻でそのことについて考えるのをやめる
それじゃ話が進まないじゃないかって時でも
でも解決するには考えなきゃダメじゃんって時でも
それって逃げてるだけなんじゃ・・・って時でも
いい気分とは言えないなと感じた時点で他のことに意識を向けてしまう
気分が良くないからって、この現状から逃げるわけにはいかない。今までの積み重ねが無駄になる。相手が気分を害する。失礼に当たる・・・
これらの思考は全て「執着だ」と切り捨ててしまいます
例を挙げるとね
大好きな友人と話をしてた時、彼女が共通の知り合いのことを話題に上げました
その人は今、ガンで治療中です
彼女はその人のことを心配し、残念に思い、辛そうだったね、自分に腹を立てているようにさえ見えたね、と語ってきました
その瞬間私は
これって全然いい気分じゃねーな
こんなこと話しても全然嬉しくない
と感じたので、気分がいい状態に向かうことにしました
まずは友人に向かって
私はその人はきっとすぐに良くなると思う
まぁ年齢的にも色々あるだろうから、病気じゃなくても思うところはあって当然だよね
その人はとてもうまく自分の状態に対処している
と言ってみました
私は「その人がさっさと治って、髪の毛も元通りになる姿をすぐに見ることができるだろう」という見解を譲らないと決めたのですが
友人は似たような暗い意見を主張します
今どんな気分かな、私?
そう考えると、特に悪い気分ではありませんでした
だって私はその人がさっさと治るに決まってると信じているのですから。
他の人が何を言おうと私の思いは傷つきません
友人には友人の意見があって当然だし、それは良いことだ
でも、幸先が暗い意見をこれ以上聞かされるのはごめんだな。
そう思ったらあんまいい気分しないな。
と感じたので、さっさと話題を変えてしまいました。
この例は比較的簡単に嫌な気分からさっさと抜け出せた時です
話題や状況をスムーズに、無理なく逸らすことができる場合はこんなふうにソフトに対応
次はもう少し難しいバージョン
どうにもこうにもムカつく態度をとる人を目の前にした時のことです
あ、いつものムカつくパターンだ
ムカついてたまるもんか、嫌な気分になんかなるもんか
と、気分が悪くなる寸前に気づくことができたので
まずは相手をガン無視して
(ちなみに誰から見てもとっても失礼です。しかもこの時は目の前で他の友人たちが私のことを見ていました。でもどう思われようと、所詮現実は幻想で唯一リアルな私の気分が優先なのです)
自分がしていた作業に注意を向け、そのスムーズさ、作業の効率の良さ、動きの美しさに集中して「私ってなんて手先が器用なの、我ながら素晴らしいわ」と考えたら満足の笑みが湧いてきました
その上で相手に向き直り「そういえば、何か言った?」
と声をかけると、相手からはいつものムカつく言葉が出てきたのですが
驚いたことに、その言葉をいつもとは反対の方向から捉えている自分がいたのです
いつもなら嫌味に捉えてしまう為いい返事ができずに終わるのですが、その時は素直に何の思惑も持たない返事が出てきました
おお、ひょっとして今私は結構いい気分かも
そう思うとその人の存在が「ちょっとした嫌なこと」から「私には何の影響もないどうでもいいこと」に変わってしまったのです
こういうことを繰り返すうちに、いい気分に向かうことは同時に自分のパワーを感じることに似ていると気づきました
そして最後に、どうにも方向転換できない時
頭の中の記憶から始まる思考の時もありますし、実際に面と向かって人と交流している時「めちゃくちゃ嫌な気分」を味わっていることに気づいた時
これはすでに嫌な思考、経験、記憶、未来の予想、それに関連する夥しい数の他の嫌な考えが一瞬で頭の中に大集合している時です
エイブラハムの本の言葉を借りて言えば「思考に勢いがついている」状態です
こうなると感情がドラマティックに激しく心を揺さぶるので、どうやって良いかすらわかりません
そこで少し前にやった「観察する」を実行します
うわ、嫌な気分だ。
めっちゃ嫌な記憶が蘇ってきた、しかも目の前でそのことについて言及している人が私に無茶振りしてきて怒りが込み上げてきた・・・
怒涛の思考と不快感の大波に飲まれて、違うことに意識を向けたくてもできない・・・
そんな中
ではその怒りとは、嫌な気分とは、一体どのような感じでしょうか?
Δとやり取りをする時のような、冷静な質問を一言心の中に投げかけるのです
なにかが自分の胴体の中で暴れ回ってる感じ
エネルギーの小さな塊みたいにも思える、上に行ったり下に行ったりしてる
喉の奥が痛くなって、呼吸の回数が減ってる
それはどんな色でしょうか?
ピンクがかったような、グレーが混じったような
体の他の部分はどう感じますか?
そういえば右目の奥の筋肉が緊張してる(そこに意識を持っていくと緊張が緩んだ)目と鼻の間の奥の部分で空気がこもったみたいになって、ガラスが曇った時みたいになってる
以下、体のいろんな部分に意識を向けて、自分が物理的にどういう状態なのかを次々に観察していきます
もちろんこれは普通に人と向かい合ったり、不愉快な状況の中で声に出すことなく自分の内側でやっている作業なので、外からはわかりません
でもこれは私にとって恐らく「手放す」ことに一番近い作業のようです
なぜなら不快感を観察している間に、嫌な気分を起こした原因が「ただの言葉」「ただの記憶」「ただの意見」「単なる一つの視点」になり、気分を伴わなくなるのです
それらに付随していた感情がバラバラになるというか
いずれにせよ、この時点でふと我に返って感情から解放されていることに気づきます
するとですねぇ、さっきまで勢いづいていた思考が勢いを無くして小さくシンプルになっているのです
勢いを増すきっかけになった「嫌な思い出」の元になった「一言」とか
とにかく地雷を踏んで起こってしまったネガティヴ思考の大爆発の原因となる、地雷そのものが特に力を持つことなく、ただそこに転がっているだけの状態になるのです
単なる観察の対象になっているのです
これはできたら私以外の人に試してもらいたい
そして体感してもらいたい
自分の感情を揺さぶる原因が力を失って、ただの現象や言葉に成り下がる瞬間を目の当たりにしてほしい
とまぁそんなわけで、相変わらずおかしなゲームを真剣にやっています
でもやりながら気づいたことがあります
それは自分が「嫌な気分」をどれだけ無自覚に受け入れていたかということです
嫌な気分はソースのエネルギーに抵抗している信号です
無自覚に受け取ることを拒否したエネルギーは、不快な出来事として私の世界に現象化します
自分で自分の世界を汚染しているようなもんです
思考は磁石のように、似た思考を惹きつける。そうエイブラハムは言っています
今の私は楽しいことを考えても、なかなか他の似たような思考は寄ってきません
でも、ネガティヴなことや心配事を考えた時は、ものすごい勢いで思考が膨らんでいきます
つまりそれだけ無自覚にそういう思考を持ち、そこに大きな勢いがついてしまっているということです
それだけエネルギーを取り逃しているということです
・・・だとしたら、このままゲームを続けて良い気分の勢いが増してきたら、取り逃していたエネルギーが自分に戻ってくるわけですよ
すぐに飽きちゃう私ですが、今回はシンプルに「良い気分でい続ける」ことでどんな変化が起こるか、実験結果が出るまで頑張って続けてみたいと思います
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