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退職直後のキモチ

無事、退職!
寂しくセンチメンタルな気持ちはすでに1ヶ月前に終了していた。
退職日は次への種まき作業の気分。
あらかじめ作成していた『これから名刺』を今後も繋がりたい方にお別れのご挨拶と共に配って回る。

で?何を教えるの? 

『これから名刺』にはプロコーチ(コーチング)
と名乗っている。
それを見た同僚達は「で?何を教えるの??」
との反応が返ってくる。おそらくスポーツのコーチの印象が強いのだろう。(社内でいくつものコーチング研修が開催されているのに、浸透してないなぁ…と残念な気持ちを抑えつつ)
「教える。のではなくて、人と対話を通してその人の目標達成を応援する仕事です。対人支援?会社の研修講師とか?そんな感じです。」
説明しながら、だんだん声が小さくなる。
自分でも腑に落ちていない説明。
説明する相手に、
「怪しいモノに入信したのでは?」
「何か売りつけられないかな?」
そんな風に思われたら嫌だ。
そんな思いが瞬時に頭をよぎるから、それらしい共通言語を必死に探して"研修講師"とか言ってしまう自分を残念に感じている。

コーチングの説明をした直後は毎回、
「時間をとって コーチング という職業を知らない人に簡潔に理解してもらう言葉を考えよう!」と思う。
昨日、机に向かってその時間をとってみたがなんともしっくり来ない。プロコーチやスクールのホームページも書き写したり、chatGPTに質問したり笑。

結論。
何度も何度も自分の口に出して、至らなさを感じながらも自分の言葉で伝えようとチャレンジし続けることしかない。
借りてきた言葉では、自分自身が納得できないのだ。と今腑に落ちた。

しばらくはゆっくりするの? 

退職報告をすると、よくそう聞かれる。
「いやいやいやいや、ゆっくりなんてしませんよ!自分の心のままに、やりたいことに突き進むんですよ! 頭の中はやりたいことで溢れてる。」
と言いたい。

あと、その言葉から
「今は育児に専念して、子どもが大きくなったらパートでもしたらいいじゃない。」というニュアンスを感じて拒絶反応を示している自分。
人それぞれなので、育児に専念。専業主婦。を否定しているわけではない。
ただ、自分にはできない。ということ。

スペースを空けたところに入ってくるものは?

今までは仕事、育児(特に息子の少年野球の時間的、精神的負担)、家事、複数のコミュニティ(ここは生きがい)で自分の人生はギチギチ、いつもイライラ。

コーチングを受ける中で、自分にとって何が自分を元気にさせるか?逆にヘトヘトになるものは何か?
そうやって自分にベクトルを向ける時間がとても尊い時間であった。
コーチングを受ける前は、やりたいことは特になし、ただ世間一般の常識に外れず、世間様にご迷惑をかけることなく、そつなく人生を送っていた。失敗しないように、傷つかないように。

確かに痛いことも、怖いこともない。
でも、毎日ヘトヘト、イライラ、幸せだと思えない。
なんじゃこれ。

心惹かれるままにコーチングの世界に足を踏み入れた。
はじめは、人生を幸せに感じられる方法も職場でのトラブルの解決方法も教えてもらえると思っていた。
勘違い笑

コーチングセッションの回数を重ねるごとに寄せては返す波のように揺らぎながら、19年勤めた会社を退職するという決断ができた!

ギチギチの人生から、減らすことにしたのは会社員という私。
実にいい選択をしたと言いたい!(今は)
退職して数日経つが、憑きものが落ちたように軽やかな自分。
金融機関という職業柄もあったと思うが『べき、ねば』に縛られまくっていた。

緩めた自分、スペースのある自分にはどんどん新しいものが入ってくる。

不登校児の親の支援
シェア本棚
米作り
洗濯物たたみ

損得では判断できないものばかりだけれど、自分の中のアンテナに引っかかってくる。

現在地   

自分という土を耕運機(コーチングセッション)でガシガシ耕して(心が痛かったりする)、少しずつふかふかの土になり(いろいろな出来事を自分の糧になるという思考回路ができる)、そこから種(私で言うところの娘の不登校)が落ち、芽が出だす(不登校児の親に向けてのコーチングやキャリア支援をしたい)
そんな状況に今立っている。
※種は一つではない笑(いろいろ困難がある)

同僚へ配ったお菓子「人生における達成感を得るための支援」をしているB型作業所のもの


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