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岐阜県へ(1/3)高山市街

美濃の濁酒宿の貸し下駄が鳴り

先日、一家で飛騨高山を旅した。

名古屋まで新幹線で行き、「特急ひだ」に乗り換えて、正午過ぎに高山に到着。

高山駅で降り、初日は徒歩で街を歩いた。
旅行支援の効果もあってか観光客も戻ってきていて、賑わっていた。

国分寺の並びの、小さな飛騨牛郷土料理の飲食店で、名物「飛騨牛の朴葉焼き」をいただいた。

このお味噌が美味しかった。
飛騨牛肉はジューシーで、銀シャリと一緒に頬張ると罪悪感があった。

罪悪感というのは、ダイエットの話ではなくこんな贅沢なもの、食べていいのかという罪悪感だ。



地ビールは、まあまあ美味しかったけど高過ぎた。
330か350mlで850円は、フェアでない。

食事の後、観光客で賑わうハイカラな商店街を歩いた。

とにかく食の看板が一斉に目に入ってきて、もちろん観光地には名物の食べ物の看板が多いが、この高山市は群を抜いている。

中でも飛騨牛の勢いがすごい。

生の霜降り肉の握りずしの看板が最も挑発的だった。
二貫乗って700から800えん。
思わず買ってしまいそうだったが我慢した。


そこを抜けると、江戸幕府の時代に市役所と警察署の役割をしていた、「高山陣屋」に到着した。

明和8年(1771)、第12代代官として飛騨を収めていた大原彦四郎の圧政により、足掛け18年にもわたる農民一揆が起きました。この騒動の中で9千人余りの農民が罰せられ、若き指導者本郷村善四郎ら多くの農民代表が犠牲になりました。しかし、郡代の政治不正も問われるところとなり、彦四郎の子である大原亀五郎郡代は流罪となりました。善政を尽くした代官・郡代もおり、19代郡代大井帯刀(たてわき)は天保飢饉の際に領内で救済措置を講じました。また20代郡代豊田藤乃進は渋草焼きを起こし養蚕を奨励しました。
高山市飛騨高山プロモーション戦略部観光課 ガイドブック 2022 3月発行


御白洲

白い砂利が敷かれている、「御白洲」と呼ばれた取り調べ室の再現セットがあった。

取り調べの様子


これは当時の消防士のはっぴで、リバーシブルになっているタイプが多く、消火完了して帰るときに左側のはっぴにあるような全面刺繍の、豪奢な柄の面を見せていたそうである。

宮川の緋色の橋を渡り、江戸時代からの古い建物を保存して改装した街並みを歩いた。

宮川

このように酒屋さんが多いのが、特徴である。伝統的な酒蔵がいくつもあるそうだ。

雪がたくさん降るところのお酒と味噌は、美味しい。



飛騨高山は家具も名産のひとつで、こういった雰囲気の高級家具店が点在している。

木材のアイスクリームスプーン(500円)を買おうか迷ったが結局やめた。


歩道から宮川川沿いに降りられる階段がある。

息子が興味を持っておりたがり、夫と三人で降りた。

鯉と鴨を眺めていると日が傾いてきたので
宿泊先へ向かった。

今夜泊まる宿は、鉄道とレンタカーとパックになっているオーソドックスなホテルだったが、温泉大浴場が広くて気持ち良かった。

一風呂浴びて、宿の浴衣に付いてくる、「湯上がり足袋」の上に、宿で貸し出している下駄を履いて、少し散歩した。

隣接しているお土産屋さんで、一本あたり150ml入りの、三種類飲み比べできる地酒を買った。
「上澄み」と、「無濾過」と、「どぶろく」の三種類を、飲み比べした。
どれも美味しい。
どぶろくはヨーグルトと牛乳の中間のドロドロ加減だった。




翌朝早く、夫はホテルの近所をジョギングした。

ジョギング中に、崇教真光の本山の建築物を見つけたそうである。

どんなでした?

「隣に別館が建設中だったよ」

…。

2日目はレンタカーで移動する。

(つづく)

日枝神社の紅葉


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