人生にミスチルがいた結果
白鳥は湖をスイスイと泳いでいるとき、足はバタバタと水を漕いでいるらしい。優雅に見えても水面下の黄色い足を高速で動かしているわけだ。
高校1年生。
親から与えられたダサいメガネをかけて、毎日学校に向かう私も必死でもがいていた。
親に指定された高校だった。最初は不本意だったが、根が単純なのか周りに恵まれたのかそのうち毎日楽しくなった。朝はyouthful daysを聞きながら二つの車輪で水溜りに飛び込んだり、帰りはoverを聞きながら夕焼けに浮かぶ雲を見てあんな風になれたらいいなと思う。学校には自分の居場所もあったし、順調な学校生活だった。
でも、このまま親の敷いたレールに乗り続けるとマズいことは雪化粧のようにうっすら勘づいていた。
雪はいつか溶けていくけど、将来に対する不安は一向に溶けず、不信感は増す一方だった。
親が子供のため、ということが完全に子供のためになる訳ではないし、そもそも昔と今では世間の事情も違っている。子供を手元に置いておくために、進学費用をビタ一文出さない親だっているわけで、実際卒業前に進学試験には無事合格したけど、学費を親が出さずに就職へ切り替えた友達もいた。
将来やりたいこと、そのために今やっておいた方がいいと思うこと。
前例がほとんどない、無茶だと言われることだった。
いつでもどこでも外野はうるさい。
資格なんていくら取っても意味がない。
勉強なんて就職したら1ミリも役に立たない。
黙ってろ、その荷物の重さ知らないくせして 引用 ランニングハイ
残り時間と逆算すると頑張らなければ足りないことは分かっていた。やるしかない。でもたまに気力は追いつかなくなる。そんなガス欠状態になるといつも聞いていた音楽がある。
Mr.Children 『蘇生』
この曲を聞くと腑抜けになった身体に命が吹き込まれる。まさしく蘇生する。机に座ってノートを開き、鉛筆を握る力も湧いてくる。
バレリーナの足は、トウシューズを脱ぐと傷だらけらしい。彼女彼らは厳しい練習で足を怪我しても、舞台ではそれを微塵も感じさせず、笑顔で踊りきる。残念ながら常日頃、愛想がないと言われる方なので、笑顔で踊りきるバレリーナには程遠いのだろう。あの時必死で机にしがみついて得た知識を生かして今も働いているから、鉛筆ダコが潰れて傷だらけの手と、心に秘めた企みを隠し切ることはできたようだ。
高ければ高い壁の方が登った時気持ちいいもんだった。それがゴールではなく始まりだと知るのはもう少し時が経ってからだが、人生の節目にミスチルがいて、命を吹き込んでくれたおかげで今も私は自力で働いて生きている。
今や鉛筆だこはすっかり消えてしまった。右の中指の鉛筆が当たる部分が左手と比べてシワが少ないぐらいだ。
でも、鉛筆だこが消えてもミスチルの曲が私の中から消えることはないのだ。
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